戦闘歌姫ペンギンオー
第1話「ペンちゃん大地にめりこむ」
もうすぐ西暦2200年を迎えようとしている静岡県第3新富士市は、静かなクリス
マスイブの夜を迎えていた。「やあ、侵略者は来ませんでしたね」「良いお年を。
侵略者も来なかったことだし」市民たちは口々に、同じことを話題にした。
国民の関心は2199年が無事に終わるかどうかに集まっていたから、特に用事も
なく空を見上げている一家は、毎晩日本のどこかにいた。第3新富士市のそうした
ベランダのひとつで、女の子が父親を呼んだ。「お父さん、あれ、何」
何か巨大なものが摩擦で赤熱して、太平洋に落下しようとしている。
「ゆ、ゆ、ゆ、遊星爆弾」父親のろれつが回らなくなった。「すぐにテーブルの
下に入りなさい」父親は叫んだ。
家の周囲が閃光で明るくなり、次いで轟音が襲ってきた。
異状は、恒例によりサンタクロース追跡のため出動していたアメリカ空軍の電
子戦機を通じて、NORAD(北米防空司令部)に、さらに航空自衛隊に報告されてい
た。しかし事態の進展があまりにも急であったため、スクランブルした航空自衛
隊機が現場に到着したときには、すべては終わっていた。
飛来した巨大な物体は、爆発しなかった。津波による被害もあったが、着水地
点は海岸に近かったため、局地的なもので済んだ。
それから、5年後。人々はその大事件のことを忘れかけていた。
「ねえタコさん、ほんとに今回のお仕事、断れないの」香は仏頂面で多田に食い
下がった。
「仕方がないじゃない。調子の悪い横綱みたいな御身分じゃないのよ。これ以上
休場が続いたら干上がっちゃうのよ。あんたの食い扶持を考えに入れなくても、
生きてるだけで車には車検が来るし、電話の基本料金だってかかっちゃうのよ」
髭面の多田は、対向車線から目をそらそうとしなかった。大型トレーラーは普通
の道路をただ走っているときも、不注意な対向車と接触しないか気になるものな
のだ。
「割のええお仕事なんやで。先方にあんじょう言うて、残り物ももろたるがな」
伊香保が香をなだめにかかった。「ひさしぶりに上等のベッドで寝られるでえ」
「だってええ」香は情けない声を出した。「ディナーショーってお客さんだけ満
腹してて、あたしたちはお預けなんでしょ。耐えらんなぁい」
来栖香は本名で、芸名は来栖かおりという。歌手である。すべての器材を一台
のトレーラーに積んで、旅から旅の毎日である。
多田幸一、通称タコさん。本人はプロデューサーと呼ばれることを好むが、マ
ネージャーも兼ねている。一日のうち8時間は誰かと通話している。そのうち仕事
の話は3時間ほどで、厳密に言うと香に関係する話は30分ほどしかない。しかしそ
の30分に3人分の生活がかかっていることも、掛け値のない事実であった。
伊香保大介、通称イカさん。アレンジャーであり、ワンマンオーケストラであ
る。ジェネシックシンセサイザーを自在に操り、すべての伴奏を司る。
ジェネシックシンセサイザーは、あらゆる音源の音色だけでなく、テンポ、強
弱などの癖を読み取り、その音源による仮想演奏を組み立ててしまう。十分なサ
ンプルデータがあれば、三大テノール歌手に「おじゃ魔女カーニバル」を歌わせ
ることも可能なのである。
今度の仕事先は、第3新富士市にある新興のホテルであった。外側はきれいに塗
られているが、内装がどこか安っぽい。
伊香保は香には理解も出来ない目盛りのついたセンサを持ち出して、ステージ
の器材の性能をテストにかかっていた。さっき香を慰めていたときとは打って変
わって、表情が一分ごとに険しくなっていく。セッティング中のイカさんはたい
ていこんな顔をしていることに、香はとうに気づいていた。ぶつぶつと修正値を
つぶやき、「やっぱり音出して見んとわからんわな」とか当たり前のことを言い
ながら、手元のリモコンでトレーラーの荷台から自走楽器を呼び寄せている。こ
うなると香にはすることがない。タコさんはそんなイカさんを見ているようない
ないような表情で、また誰かと電話している。
「つまんないなー」香はつぶやいてみたが、タコさんもイカさんも振り向いてく
れないので、ひとりで部屋にこもって歌の練習をすることにした。「香ちゃん、
3時から衣装合わせお願いね」タコさんが電話をしながら器用に言った。
ビルの屋上には、ふたつの人影があった。柵もない壁際に平気で立っているの
も異常だが、もっと異常なのは、侍烏帽子(さむらいえぼし)にひとりは卯の花
緘(うのはなおどし:白糸で部品を結んだ鎧)、もうひとりは緋緘(ひおどし:
赤糸で部品を結んだ鎧)を隙もなく着こなし、太刀を佩(は)いていることであ
る。
「我らの初陣としては、ちと小さな街だな、若棟梁」緋緘の男が言った。
「叔父御殿、例のものがここにある以上、街の大きさなど問題ではない」問われ
た卯の花緘の男は高ぶった心を口調ににじませて答えた。「いざ、鏑矢をなん、
射ち給え」
「承知」緋緘の男は背中に負っていた矢を取り出し、人の背ほどもある強弓につ
がえてきりきりと引き絞った。「弓矢八幡、炎(ほむら)起こさせ給え、嵐吹か
せ給え」
叫びざま放たれた矢は、ひょうひょうと音を立てながら向かいのビルに突き刺
さり、大音響と共に爆発を引き起こして、窓ガラスを四散させた。歩道から男女
の悲鳴が聞こえた。
卯の花緘の男は太刀を引き抜き、天にかざした。「出でよ、者(もの)」
ひとり、またひとり、頬当てで顔を隠した鎧兜の武者が、虚空から浮き上がる
ように姿を現す。武者たちは重い足音を立て、鎧をきしませながら、人を追い、
人を斬り、人を射た。
第3新富士市の郊外に、ひときわ広々とした敷地を持つ白亜の施設が広がってい
る。沖合いに落下した物体を研究している、国際いろもの研究所、通称スリーア
イである。International Iromono Instituteの略称であるIIIの飾り文字が、正
面ゲート脇のネームプレートに輝いている。
この研究所はまた、日本における超能力研究のメッカであった。そして、邪悪
な超能力集団が現れたとき、その備えとなるべき鎮め城でもあったのである。
国際いろもの研究所長官・田沼新三郎博士は呼び出しを受けて、透明チューブ
の専用エレベータで、地上40メートルの指令塔に上がってきたところであった。
非常事態を知らせるサイレンが所内を満たしている。
「状況を報告しなさい」白衣の裾をひるがえして、田沼は長官席に就いた。
「田沼大童さんから、直接通信入っています」「つなぎたまえ」長官の指示で、
西郷善音(よしね)は、メインスクリーンに通信を切り替えた。善音、琴音(こ
とね)、菊音(きくね)の三つ子の姉妹が、スリーアイの戦闘司令室を切り盛り
するオペレータたちである。
メインスクリーンに、20才台の半ば頃の若い男の姿が映し出された。
「ダディ」大童は腕時計型通信機に呼びかけた。
「戦闘配置中にダディと呼ぶなといったろう」田沼長官は長男をたしなめた。
「では、長官」
「うーん、いい響きだ。もう一度呼んでくれんか」
「長官」
「うーん、たまらんなあ」田沼長官は顔をほころばせた。
「長官」作戦主任の原田百合子が自分の席から、一段上の田沼長官をたしなめた。
「戦闘配置中です」「ああ、そうだったな」田沼長官は我に返った。
「超能力者による破壊活動と判断します」大童は報告した。「阻止行動の許可を
願います」
「とうとう始まってしまったか。はるかの意見はどうだ」メインスクリーンの半
分が切り替わり、すずやかな若い女性が現れた。大童の妹、田沼はるかである。
「ごらんあそばせ」はるかは腕の通信機を前方にかざして、超小型カメラをはる
かの正面に向けた。わずかにぎこちなく動きながら、破壊の限りを尽す木っ端武
者たちの姿が捉えられると、戦闘司令室にどよめきが走った。
「阻止行動、承認」田沼長官は叫んだ。「日本を頼んだぞ」
「わあい、コスプレだあ」香ははしゃいだ声を立てた。
旅から旅の香たちは、もちろんステージ衣装を持ってはいるが、かさばる衣装
は持ち歩けないし、なにしろスタッフが男所帯である。フリルのついたドレスな
どは用意できない。今回はホテルの担当者が、結婚披露宴用の貸衣装を使うこと
を思い付いてくれたので、久しぶりに真紅のロングドレスなどを着る機会が出来
たのである。
「それはよかったわねぇ」タコさんがどこか引きつった笑顔を向けた。香は返事
の代わりに、くるりと回って見せた。「ふふふっ。シャランラ〜」
「ま、これでショーが終わるまで夕飯我慢できるわな」イカさんがからからと言っ
た。
「あー、そーだったー」香は世にも悲しそうな顔をした。タコさんがイカさんを
小突いて、無表情を装ったホテルの担当者に弱々しい笑顔で会釈した。
「何奴」卯の花緘の武者は、敏感にその気配を感じ取った。何かが高速で動き回
り、その姿が一閃する都度、木っ端武者がひとり倒れ、頬当てを残して崩れ落ち、
消え失せる。
「畏(かしこ)め、下郎」緋緘の武者がきりきりきりと弓を引き、間合い測って
射ち放つ。ばし、と乾いた音がして、矢はくるくるとバトンのように虚空に飛ん
だ。落ちてきた矢をつかんで立つのは、田沼大童。
「どなた様かは存じませんが、少々おいたが過ぎるんじゃないのかい」大童は右
手の扇子を半開きにして、ぱちりと鳴らした。「田沼大童、推参、とでも名乗れ
ばご満足かな」
「暗鬼七人衆が一人(いちにん)、悪源太」卯の花緘の武者は名乗った。「同じ
く、鎮西八郎」緋緘の武者が名乗りながら呼ばわった。「我らを立ちさぐ者、そ
の報いを受けようぞ」
「ぼくちゃんを甘く見ると」大童は半開きの扇を眼前にかざし、その上から覗く
ようにふたりを見た。「泣いちゃうよ」
扇であったものが、いつのまにか一束の棒手裏剣に変わっている。それを扇形
に放つと、大童は飛びすさった。大童のいたところに、鎮西八郎の矢が一本、二
本、三本と立つ。
「兄様(にいさま)」「気をつけろ、乱暴な殿方だぞ」はるかと大童が呼び合っ
た。「おお恐い」はるかは短冊と筆ペンを手にして、和歌を詠いつつさらさらと
書き上げた。
陽炎(かぎろひ)の春の富士野のうつせみののどけき草々いかでか踏まん
「嘉言、かしこみ申さく」はるかは細い指でしなやかに印を結ぶ。「陽炎の言霊
(ことだま)、勧請(かんじょう)」はるかは短冊を投げ上げた。
渦を巻いて吹き寄せるように、ゆらゆらとした空気の流れが短冊を取り巻いて
流れた。その流れはすぐに、悪源太と鎮西八郎を指して伸びていく。
「ええいっ、小賢しい」悪源太が太刀を振り回すが、陽炎の言霊は切られても切
られてもすぐに原形に戻る。それどころか、やがてそれらは熱を持ち、炎のよう
に赤味を帯びてきた。「若棟梁、口惜しいが、ここはくぐつ師を呼びましょうぞ」
「大義親を滅す、やんぬるかな」悪源太がくやしげに同意するのを待ち受けて、
鎮西八郎は弓を構えてまずひと鳴り、ぶうんと鳴らした。陽炎の言霊がささっと
退く。その機を捉えた鎮西八郎、再び鏑矢をきりきりつがえ、今度は虚空を指し
て、ぶうんと放った。
「ほっほっほっほっ。誰が呼びゃるかと思えば、御大将でおじゃるか」声は聞こ
えるが姿は見えない。「くぐつ獣が御所望でおじゃりますな」丁寧だがあざける
ような口調である。「晴明、我らに合力せい」悪源太が呼ばわった。
「どうなっている」戦闘司令室では田沼長官がたまりかねて声をかける。オペレー
タたちが懸命に無人ドローンの送る映像をブラウズして、声の主を探す。「いま
したぁ」琴音が黄色い声を上げる。「メインスクリーンに送りまぁす」
映し出されたそれは、人の顔の形をした雲であった。その雲の顔の口がすぼまっ
て、ぷうっと何か目に見えないものを吹き出す。粉のようなものがきらきらと渦
巻いて地上に盛り上がり、やがて巨大な虎の形を取った。
虎くぐつは、一声吠えると、大童とはるかに向かって来た。陽炎の言霊が虎く
ぐつの周囲を回って見せたが、やがてはじけるように消えた。
「いかん」田沼長官が身を乗り出した。「原田君、南君は出られんのか。ペンギ
ンオーは使えないのか」「まだテストもしておりません」「今すればよいではな
いか」田沼長官は食い下がった。
「ふむ、あまりお勧めは出来ませんがな」科学主任の歌川宏がしかめ面をした。
研究所のメカ研究開発を統括する人物である。
「モジュールレベルでのテストは出来ておりますよ」工作主任の尼崎源蔵が、気
楽な声を上げた。「大丈夫ですよ。私と歌さんで作ったマシンです。もっともか
なりの部分は自分で作っちまいましたがね」
ペンギンオーは飛来した巨大飛行物体の中から引き上げられた部品を中心に組
み立てたロボットである。ただし工作ロボットも一緒にいくつか発見されて、そ
れが勝手に材料を選別しては部品を組んでいくので、それをジグソーパズルのよ
うに組み立てていって、出来上がったのがペンギンオーである。だから、歌川に
も尼崎にも分からないことが多い。だいいち、組み立て準備が整った形で発見さ
れたこのロボットは、何のために用意されていたのだろうか。
「後は奈美ちゃん次第だが、どうです原田さん」尼崎が水を向けた。「どうもう
まく起動しないのよ。相性が悪いのか何なんだか」原田の声の最後は消え入りそ
うに小さくなる。
「だいじょうぶですっ」いきなりメインスクリーンの半分ほどを、若い女性の画
像が占領した。「いま出られなくて、いつ出ますかっ」ペンギンオーのパイロッ
トとして訓練を受けてきた、南奈美である。「だってこれは実戦なのよっ」原田
が声を荒げて奈美を制止する。
「戦闘司令室、もうもちません」大童の通信が再び割り込んで、メインスクリー
ンの奈美は小さく縮んだ。無数の扇がはらはらと虎くぐつを包んでいる。悪源太
が虎くぐつの背に乗って、ほら貝を鳴らして扇を吹き払っている。
「よろしい。ペンギンオー、射出用意」長官はついに決断した。「原田君!」
「わかりました」原田は覚悟を決めた。「ペンギンオー、射出シークエンス、初
期状態確認」原田の指示で、三つ子のオペレータがにわかに活気付く。「マイク
ロウェーブレシーバ、セーフティロック解除。発電衛星サンイーター103号、プラ
イオリティ確立、待機中」「電磁カタパルト、抵抗率チェック、異常なし」「コ
クピット、生命維持ブロック、異常なし」
「確認。射出動作に入れ」と原田。「ペンギンオー、トラベリングロック解除。
地下格納庫エレベータに進みます」と善音。「所内関係ブロック、退避信号確認。
トランスフォーメーション、承認願います」琴音が長官を見上げた。
「スリーアイ、トランスフォーメーション」田沼長官が号令をかけた。
高さ40メートルを誇る東洋一の司令塔が、いまゆっくりと傾斜していく。「風
速調整、湿度調整、自動調整値を採用。目標エリアへの軌道計算出ます」菊音が
コンソールから目を離さずに確認する。研究所全体がゆっくりと回転し、傾いた
司令塔があたかも大砲のように、虎くぐつに狙いをつける。
そう。司令塔そのものが、ペンギンオーを射出するためのレールガンとして働
くよう設計されているのである。やがてエレベーターによって、ペンギンオーの
巨体がその姿を現す。全長20メートル、ペンギンロボットとしては世界最大であ
る。
「奈美ちゃん、いいわね、いくわよ」原田が呼びかける。「よっしゃあああ」奈
美が自分に気合いを入れる。「対ショック、対電磁防御」原田が叫んだ。「ペン
ギンオー、発進」巨大なボタンを力いっぱい押す原田。
はるか大気圏外の発電衛星から、富士山麓のレシーバめがけてマイクロ波が発
射される。巨大なエネルギーが、いまレールガンに注ぎ込まれ、ペンギンオーを
射出する。
ばりばりばりっ。戦闘司令室に電気ショックが走る。「きゃっ」自分の指とキー
ボードの間に放電が起こって、善音は悲鳴を上げた。「いやあん」琴音が逆立っ
た髪の毛を抑えつける。「たまりませんわっ」菊音が頭を抑えて上体を振る。
「ところで、ペンギンオーは、いつから飛べるようになったんだね」歌川主任が
たずねた。「飛べませんよ」尼崎が答えた。「落ちるだけです」
鮮やかな放物線を描いて、ペンギンオーは落ちた。
さっきから妙に表が騒がしいとは思っていた。大きな音が響いて、天井から埃
のようなものが落ちてきた。館内放送が入った。「お客様の皆様。大変ですっ。
大変ですっ。どうしましょおお」
「どーしようって、言われても、ねえ」香はきょとんとした顔をした。「香ちゃ
ん、もう少しあわていや」イカさんが文句を言った。「とにかく外へ出ましょう
よ」タコさんが珍しく厳しい顔をしている。「ついでにゲリラライブやっちゃい
ましょうか」「そういうことは、外見てから言えや」
とにかく3人は、ホテルの玄関に向かった。ホテルの担当者も一緒に走ってくる。
すでにロビー周りの客は逃げ出したようであった。支配人が玄関に立って、香
たちを急かす。「最後のお客様が脱出するまで、私はここに残ります」支配人は
きっぱりと言った。「かっこいい」香が素直に感動する。しかし支配人の立って
いるところが、だんだん玄関の崩れそうな部分から外へせり出していくのに、タ
コさんとイカさんは気づいていた。
表に出たとたん、何かがぴゅっと飛んで、香の腰の後ろあたりを通りぬけた。
「危ない」田沼大童が声をかけながら近寄ってきた。「怪我はないようだな」
「ひえええ」ホテルの支配人が走って逃げて行った。その後をディナーショーの
担当者が追いすがる。
「リボンがぁ」香は泣きべそをかいた。腰についていた巨大なリボンが、鎮西八
郎の矢に打ち抜かれて取れてしまったのである。
「どうしてくれんのよっ」「おいっ、やめろっ」薄笑いを浮かべた鎮西八郎に詰
め寄っていこうとする香を、大童が止めた。「あいつは人間じゃない。超能力者
のエージェントだぞ」「エージェントが恐くてシャケ弁当は食べらんないわよっ」
ちょうどそのとき、空から妙に重々しい風切り音が響いてきた。逃げ遅れた
人々が騒ぐ。「鳥だ」「鳥だ」「ペンギンだ」
ずずずずずずずうん。ペンギンオーは頭から市街地に突っ込んで、ビルをいく
つか押しつぶした。「くえええぇぇぇっ」羽をばたばたさせてもがくペンギンオー。
「あれは…何」香は息を呑んだ。
第2話「勝利は打ち上げのために」
悪源太はあざけるように言った。
「これは殊勝なことだな。我らの頂きに来たものを、わざわざ届けてくれるとは」
「南さん、奈美さん、聞こえるか」大童が呼びかける。短冊を持ったはるかが兄を
押しのけるようにペンギンオーに近づく。「みんな、下がって。耳をふさいで」ペ
ンギンオーの体に寄ったはるかは、短冊をペンギンオーに押し付け、大きく「起
きんかい」と書き付ける。そして、叫んだ。「言霊たちよ、我に木霊を与えよ」
にぶい反響音が、耳をふさいだ香たちの手の上から聞こえてきた。おそるおそる
手をどけると、大童はすでに奈美と通話していた。
「ここはだれ。私はどこ」「気がついたか奈美さん」「あっ、たいへん。ペンギン
オー、始動」ペンギンオーは動かない。「始動」動かない。「始動ったら始動」奈
美の声が段々甲高くなる。「ああんもう」
「笑止千万」鎮西八郎が弓をしまい、太刀を抜き放つ。「虎くぐつよ、小僧どもを
マンボオーの遺物から追い払え」
「どうした奈美さん」通信に夢中になっていた大童は、はるかに袖を引かれ、振り
向いて大声を上げた。「あああっ」
「かっわいーい」香がペンギンオーをぺたぺたと触っている。「ねえ、名前なんて
言うの。みんなペンギンオーとか言ってたね。ペンちゃんでいいかな」
「危ない。下がれっ」大童が叫んだ。
「マンボオーと言ったな」スリーアイ戦闘司令室では、田沼司令が鎮西八郎の言葉
を聞きとがめていた。
「そういえば、あの巨大飛行物体、マンボウに似ておりました」歌川主任が言った。
「どうも最初から、あの物体は宇宙戦艦らしくないと思っておりましたよ」尼崎主
任が応じた。「マンボウの形の戦闘艦など」
「いや、わかりませんぞ。宇宙人にとってマンボウの持つイメージなど、誰にもわ
かりません」歌川主任が反論した。「凹凸を排してステルス性を高めた、究極のファ
イティング・フォルムでないと、なぜ言えます」
宇宙を駆ける数十尾の巨大戦闘マンボウが、いま同規模のマンポウ群と会敵した。
んぱ。んぱ。んぱ。必殺のエネルギー弾が口から吐き出される。脱落し四散するマン
ボウ。距離が縮まり、胴体を回転させて格闘空中戦に持ち込もうとするマンボウが
出始める。んぱ。敵も撃ってくる。んぱ。んぱ。
「戦闘中ですっ。何を下らない空想してるんですかっ」原田主任の怒声に、歌川と
尼崎はしょんぼりと沈黙した。
「小娘、そこを退け」悪源太は太刀の先を香に向けて振った。「この子をいぢめる
んでしょう」香は口を尖らせて悪源太をにらみ付けた。客観的に見れば、レールガ
ンまで使ってペンちゃんを20kmほど投げ飛ばしたスリーアイのほうが、まだ何もし
ていない暗鬼七人衆よりもペンちゃんをいぢめているかもしれないが、それはここ
では関係ない。
ぶうん。ペンギンオーの中で何か機械が動く音がした。
「虎くぐつよ。小娘どもをなぎ払ってしまえ」「がおおおお」大きく吠えた虎くぐ
つは、一歩、二歩とペンギンオーに近づいてきた。「なんてこった」つぶやきなが
ら助け出そうとする大童、そしてはるかを、弓をつがえて薄笑いを浮かべた鎮西八
郎が牽制する。「行かせるまいぞ、行かせるまいぞ」
ぽん!
ペンギンオーの胸が開き、そこから奈美がはじき出された。奈美の体には何か光
が照射され続けている。反重力光線らしく、奈美の着地は柔らかい。「あによー、
あたしのどこがいけないっていうのよー」奈美はすぐに文句を言った。
「えっ?」驚く香に光線が当たり、その体はふわりと浮き上がった。「ちょっと何す
んのよ。そういうことってのはちゃんと合意がないと、ねえ、ねえってば」抗議す
る間もなく、香はペンギンオーの胸に納まり、ハッチが閉じた。
「ペンギンオー、応答して、ペンギンオー」原田の声に、香は意識を取り戻した。
どうやら大きなペンギンの中らしい。計器も何もないが、自然に椅子のような窪み
に座った格好になっている。「どうなってんのよ。外の様子もわかんない」香が叫
ぶと、急に正面の視界が開けた。窓…ではないらしい。この画像は人工的に投射さ
れたものだ。「あなた、民間人?」「パーティドレス着た軍人さんに見える? それ
よりあんた誰」香は機嫌が悪い。「説明は後よ。虎のロボットが迫っているわ」ど
おん、と後ろから衝撃が伝わってきた。「くえええええっ」痛そうな声がコクピッ
トにも響く。「何すんのよっ」香が大声を上げた。突然ペンギンオーはくるりと回っ
て、ぺしりと羽で虎くぐつを叩いた。見たところ細い羽は、斥力フィールドで強化
されている。パワーも意外に強く、虎くぐつは横倒しになってビルを押しつぶす。
「いいわ。その調子。戦うのよ」「戦うって、どうやって操縦するのよ」「させた
い動作を思えばいいらしいわ」「らしいってどういうことよ」原田は根気良く説明
した。「言うことを聞いてくれるときと、くれないときがあるの」「ペンちゃん、
困ったちゃんなのぉ」「くえぇ」ペンギンオーは肯定とも否定ともつかない返事を
した。
「よーし。リボンのかたきだぁ。いっけーペンちゃん」「くえぇ」ペンギンオーは
再び必殺の羽パンチを振るった。
が。しかし。
必殺のパンチを待ってくれるほど、虎くぐつの動きは鈍くない。というよりペン
ギンオーの動きはかなり鈍い。ぶうん。すたすた。ぶうん。すたすた。パンチの空
振りが続く。「虎くぐつよ、遊びは終わりにしろ」悪源太の冷たい声に促されて、
虎くぐつは口から怪しい赤い炎を吐き、それがペンギンオーを押し包む。
「きゃーっ」叫んでみたものの、熱くない。ペンギンオーはかなり丈夫らしい。
「よくもやったわねっ。今度はこっちから行くわよっ。ふんっ。ふんっ」一生懸命
踏ん張る香。
「何をやっているの」原田がいぶかる。
「ペンちゃんにも必殺技ってあるんでしょっ」ペンギンオーは香のイメージ通り、
羽を十字に組もうとするが、羽が短いので交差しない。
「そんなこと言っても。歌川主任、ご存知ですか」原田が困る。「存じませんなあ」
歌川が簡単に言う。「ああ私って世界一不幸な作戦主任」原田が嘆く。
「ねえねえねえ、どうしたらいいのよ」香が催促する。ペンギンオーは今度は額に
両方の羽を当てようとするが、やっぱり羽が短いので届かない。
「ええい何をしている。虎くぐつよ。飛べもせぬ鳥など押しつぶしてしまえ」悪源
太が下知を飛ばす。虎くぐつは一声吠えると、猛牛のようにペンギンオーに襲い掛
かってくる。それが眼前、というか眼前のスクリーンに迫り、香は動転した。
たまりかねて、イカさんが大童の通信機を腕ごと引ったくるようにして叫んだ。
「香! 逃げるんや。日本の平和なんか、おまえの契約にあらへんのやぞ」
「きゃーっ。ペンちゃーん」香が叫ぶ。
ペンギンオーの黄色い眉毛のような羽根が、端から端まで黄色く光った。
ペンギンオーはいきなり口を開けた。
「くえええぇぇぇぃぃぃぃぃいいい」
ペンギンオーの声がアブラゼミのように甲高くなる。大童もはるかも思わず耳を
ふさぐ。「超音波?」はるかのつぶやきは戦闘司令室に届かなかった。善音がすさま
じいハウリングにたまりかねて、受信ボリュームを絞ってしまったからである。ペ
ンギンオーの口の周囲で、空気が励起され陽炎のように揺らぐ。その超音波は虎く
ぐつを貫き、ペンギンオーの口の動きに連れ、そのまま虎くぐつを胴体下まで切り
裂いた。
虎くぐつはゆっくりと横倒しになり、大爆発がそれに続いた。
「勝ったの?」原田が小さく言った。
「ただいまのペンギンオーの武器を、ペンギンシャウトと呼称する」田沼長官の言
葉に、戦闘司令室の一同は夢から覚めたように緊張を解いた。「状況は終了したと
考えてよいのかな、原田君」「あ、申し訳ありません。善音ちゃん、大童君に確認
して」原田は指示を出した。
「ええい、晴明のくぐつ獣が敗れるとは、何たること」悪源太が叫んだ。「若棟梁、
廟算(びょうさん:出陣を先祖の廟に報告するさい、作戦を立てること)を練り直
しましょうぞ」鎮西八郎の建議に、悪源太は大童やはるか目掛けて呼ばわった。
「うつつの者ども、遠からず再び相まみえん」そしてふたりは霧が晴れるように消
えて行った。
「ざまあ見さらせ」イカさんが勢いづいて言った。タコさんが低い声で言った。
「喜ぶのはあれを見てからにしない?」
今日ディナーショーをやるはずだったホテルは、ぺしゃんこになっている。
「あー」イカさんは情けない声を上げた。「わしの楽器」
「地下駐車場のトレーラーがどうなっているか、考えたくもないわね。考えるまで
もないけど」タコさんが言った。
「大童さん、聞こえますか大童さん」善音から通信が入った。「状況は終了したと
考えてよろしいですか」
「全然終了してないだろ」大童はけだるげに言った。「どうやって連れて帰るんだ
よ、このペンギン」
「あ」戦闘司令室で、歌川がぼかんと口を開けた。「それは考えておらなんだ」
「歌さん、レールガンシステムにいくら使いましたっけ」尼崎がのんびりと聞いた。
「よく覚えておらんが、小さな県の年間予算くらいは使ったかなあ」歌川が答えた。
「では、非常体制を解除する。原田君、後は良きに計らってくれ」原田の返事を待
たず、田沼長官はエレベータで戦闘司令室を後にした。
「あたしって、世界一不幸な作戦主任」原田が嘆いた。
「えー、20キロ歩いて帰るの」香はペンギンオーの中で不満な声を上げた。
「お願い。お姉さんを助けると思って」原田は拝み倒そうとする。「お姉さん?」思
わず口に出した琴音が、善音と菊音から同時に口をふさがれてもがく。
「原田作戦主任ですか」通信に割り込んできたのは、またまた大童の通信機を借り
たタコさんである。「来栖かおりのプロデューサーをしております、多田です。は
じめまして」
「あ、はあ、はじめまして」原田はきょとんとする。
「そのお仕事、来栖かおりでなければ、出来ないお仕事でしょうか」「はい、たぶ
ん」原田のスクリーンの隅には、ペンギンオーを後ろから蹴飛ばしてすねている南
奈美の姿が映っている。
「高う、つきまっせ」タコさんがすごんだ声を出した。「タコさん、関西弁になっ
とるがな」後ろからイカさんが揺さぶった。
どことも知らぬ、薄暗い闇の空間に、7つの影が集っていた。
「悪源太ともあろうものが、旗を巻いて逃げ帰るとは」派手で不釣り合いな格好を
した公家風の男が、悪源太を嘲笑った。
「油断じゃ」悪源太が吐き捨てるように言った。
「力、足りない」筋骨隆々の小男が、じっと虚空を睨み付けて言った。悪源太がきっ
となって突っかかろうとするのを、鎮西八郎が制した。
「ほっほっほっ。男(おのこ)方の騒がしいこと」武者姿の女性が笑ったが、悪源
太たちに向けたその視線は冷え切っている。
「何にせよ、我らの予期せざる敵が現れた、ということ。我ら皆の手抜かりでござ
ろう」修験者の格好をした男が誰にともなく言うと、一座は沈黙した。
「君たちなら、きっとやり遂げられるよ。ぼくが、そのように準備したのだもの」
若々しい声が響くと、7人は一斉に平伏した。
「それほど遠い日ではないよ、ね」
若々しい声は、静かで、優しいとさえ言えた。
「ぶはーっ。労働の後のビールはうまいねえ」香は、心から幸せそうな声を上げた。
ここは、スリーアイの宴会場、というか、主に宴会場に使われる会議室。誰が考
えたのか、ドアの上のプレートには、婉曲にも「作戦準備室」と表示されている。
「終わり良ければ、すべて良しよねぇ」タコさんも上機嫌である。当分の間、スリー
アイに協力する代わりに、トレーラーと機材一式を新調してもらえることになった
のである。「あたしって、世界一不幸な」原田が疲れ果てた顔でビールのコップを
握り締める横では、南奈美がぐでんぐでんに酔っている。「飲みましょー、飲みま
しょー。飲んでも明日は来るのよねー。あーやだやだ」
「ぶはー」「ぶはー」「ぶはー」三つ子オペレーターが相次いでコップを空ける。
「おおー、いいねえいいねえ」イカさんがすかさずビール瓶を傾ける。
「兄様、ここにいらしたの」みんな宴会に行ってしまって、人気のない戦闘司令室
の窓際に、田沼大童はいた。眼下の夜景はいつもなら美しいのだが、街の被害が大
きいために、今日は明かりが少ない。
「とうとう、始まってしまったな」「私は半信半疑だった。兄様ほどには、こんな
日の来るのを信じられなかった」はるかも窓の側に来た。
「後悔しているのか。普通の青春が送りたいと」大童は、窓の外から視線を動かさ
ずに言った。
「普通の青春にも、人生を賭けた戦いがあるわよ。ただ気がつかないだけ。でも」
はるかは窓の外を見た。
「普通の人より、悲しいものをたくさん見ることになりそうね」
「歌川君、あの子がペンギンオーを動かせる理由が、わかるかね」田沼長官がスル
メをかじりながら言った。歌川はコップを置いて、手酌でビールを注いだ。「わか
りませんな。データがあまりにも少なすぎる。だが」「だが?」
歌川は、香をそっと見やった。香はビールの空き瓶をまとめて、ビールの空き箱
を持ってやってきた所員に手渡している。「これもお願いしまーす。空き瓶さんさ
ようならー。また今度ねー。あははははははー」
「私がペンギンオーなら、ああいう子に動かされたら楽しいだろうな、と思います」
歌川は言った。
第3話 「あの空を撃て」
「ペンちゃ〜ん、あれやってよ、あれ」
ペンちゃんは知らん振りをしている。
「ねえ〜ペンちゃ〜ん」
ペンちゃんは腹をぽりぽりかいている。
「あんこーるっ。あんこーるっ。あんこーるっ」香は手拍子を入れた。
ペンちゃんはまだ腹をぽりぽりかいている。
「おねが〜い」
「くええぇえぇ」ペンちゃんはあくびをした。
「だめか」歌川科学主任は、マイクを取り上げた。「香ちゃん、ごくろうさん。
もういいよ」
ペンギンオーのハッチが開き、香が這い出してきた。
「やっぱり、ピンチのときしか使えないのではないかな。ターゲットスコープが
ロックされているとか、エネルギーが120%に足りないとか、そのような問題で」
田沼長官は意見を述べた。歌川たちは、虎くぐつを一撃で両断したペンギンシャウ
トの威力を試験しようと、厚さ5メートルの鉄板を実験場に立てて、ペンギンオーに
ペンギンシャウトを使わせようとしたが、ペンギンオーが言うことを聞かないので
あった。
「なにもかも未知数、か」原田が諦めたように言った。「源さんは?」
「ペンキャリーの組み立てで夜も昼もなかろうよ」歌川は他人事のように言った。
「それにしても、ペンキャリーの設計図がこうも簡単に出てくるなんて」原田は
歌川の顔を覗き込むように言った。「もともと設計してあったとか」
「そうだよ」歌川はあっさり認めた。「レールガンシステムの予備計画として、
前から準備はしておった」
「じゃあなんであんな、半径20キロにしか意味のないものを」「そりゃあ、レー
ルガンシステムの方が、面白いからだよ」歌川は澄まして言った。「それが科学
の心というものじゃないかね」
原田は、何か言おうとしてやめ、首を横に振ってため息を吐いた。
「すごいのねえ」整備場に一歩入ったタコさんは、ペンキャリーの威容に圧倒さ
れた。すでに最終工程に入り、表面硬化ジュラルミンの胴体は群青と白に塗り分け
られようとしていた。VTOL機ゆえに主翼は広く後退角はわずかで、その主翼が4基
のフェニックス・ジェットエンジンと共に90度回転するという野心的な設計になっ
ている。
VTOL(垂直離着陸)ジェット輸送機ペンキャリーは、ペンギンオーを格納して
無着陸で地球を7周半できる、夢の機体である。その巨大さは、まさに空飛ぶ戦艦
と呼ぶにふさわしい。
「こいつが完成せんと、あんたがたがこの研究所を離れることが出来んからな」
絶えず騒音の中で仕事をしているので、尼崎工作主任は無意識のうちに、声を張
り上げて話していた。「あんたも、あんたの相棒も、暇だろう」
「イカさんなら、いま口も利いてる暇ないわよ。新しいサウンドシステム買っても
らったでしょ。初期化の真っ最中。あたしにはぼやいてる意味も分からないわよ」
虎くぐつにトレーラーごと壊された楽器類を買い換えてもらったはいいが、電子
楽器のチューニングをすべてやり直さねばならないので、イカさんはいま香もタコ
さんも側に寄れない修羅の形相で、ずっとモニターとにらめっこをしているのであ
る。
「ところで、この飛行機、誰が乗るわけ」「ほら、この間ペンギンオーに乗ってい
た、奈美ちゃん」「ちょっと可哀相ね」「なに、芯は強い子だよ。ちょっと失礼」
インターコムの着信ランプが点滅している。インターコムを取り上げた尼崎が大声
で叫んだので、タコさんは思わず飛びすさった。
「何ぃ、奈美ちゃんが脱走した」
正門の守衛の話から、大きなバッグを提げた奈美が正門をくぐってとぼとぼと
歩いていったことが確認された。
「警察に知らせますか」原田が沈痛な表情をしている。「そういうわけにもいか
んな。友の会に依頼しよう」田沼長官は言った。
「友の会って、何」タコさんが尋ねた。「スリーアイの趣旨に賛同して、えっと、
えっと」口ごもる善音に、琴音が助け船を出した。「ファンクラブみたいなもん
ですぅ」「大丈夫なの、そんな人たちで」
菊音がいたずらっぽく笑った。「だって、みんな超能力者さんたちですから」
「愛媛県民は丸ごと心理スキャンしたけんど、知ってる人はおりませんなも」
「こちら大阪府東ブロックや。こっちにはおらへんやんけ」「ええい、静岡県だ
け探せばいいっ」田沼長官は叫んだ。メインスクリーンにひしめいていた数十の
顔がぱらぱらと消え、ひとりだけが残った。「おお、そちらの状況を知らせてく
ださい」長官は顔をほころばせた。「あ、あの、あたし」若い女性は、消え入る
ような声で言った。「火なら、吹けるんですけど、テレパスの方は、ちょっと」
長官は無言でうつむいた。女性は訴えるように言った。「あ、あたし、火なら
上手に吹けるんですっ。本当ですっ。ほらっ。ほらっ」「つうしんを、きれえぇっ」
田沼長官はうめくように言った。
「ダディ、話は聞きましたよ」すぐ後ろから声をかけられて、田沼長官が振り向
くと、田沼大童が立っていた。
奈美はとぼとぼと歩いていた。
当てはなかった。
奈美の脳裏を、8000人の応募者の中からオーディションでペンギンオーのパイ
ロットに選ばれたときの情景が駆け巡った。拍手。真新しい搭乗服。訓練の日々。
誰にも負けたくなかった。誰にも負けなかった。
なのに、ペンギンオーは、自分を選ばなかった。
奈美はもう自問自答を止めていた。止めたつもりだった。なにか正体の分から
ないものが、奈美の心を駆け巡っていた。
「ほっほっほっ、お嬢さん、お悩みかな」太く豊かな男性の声がしたので、奈美
は弱々しく振り向いた。「おお、可哀相に、満たされない顔をしておいでだ」
男は侍としての和装をしていたが、どこか不釣り合いであった。紋付き羽織に
は全体に金糸が織り込まれているし、髷を結っていながら髪の一部は金と赤に染
められている。
「人は、自分に正直でなければならんのだよ」男は言った。「私は君の望む物を
与えてあげるよ。私と一緒に来給え」男の声には、その短い言葉以上の力があっ
た。なにか言おうとした奈美は、その前に体が引っ張られるような感覚に襲われ
た。奈美の持っている多くの望みが、美しい望みもそうでないものも、男に従う
よう奈美の理性を一斉に責め立てた。
「気をつけろ、奈美さん」ビルの屋上から、田沼大童の大声が響いた。「乙女心
を惑わす奴は、このボクちゃんが許さない」大童が広げた扇を打ち振ると、涼風
たちまち湧き起こり、奈美の心から狂おしい情念が消えた。あたりを見回す奈美
に、大童は呼びかけながらビルを下りて走った。「こっちだ。早く」「どうして
ここがわかったの」「奈美さん、スリーアイの正門を出てから、一度も曲がって
ないだろ」はっとする奈美に大童は白い歯を見せた。「迷いのある時は、そんな
ものさ」奈美は自分のバッグを一瞬見つめると、それを放り出して大童のもとへ
走った。
「そうは参りません。巴(ともえ)殿、巴殿」男の呼び掛けに応えて現れたのは、
りりしい白頭巾の女武者。萌黄緘(もえぎおどし)の胴丸鎧、右のかいなの長刀
(なぎなた)をくるくるくると振り回す。「道誉(どうよ)、口ほどにもない」
「邪魔が入ってしまいました」道誉と呼ばれた男はにやにや笑いを口から消さな
い。「御婦人を斬るのは本意(ほい)ないことだが」「手を下さぬ者の、本意など
問うてもせんないこと」巴と呼ばれた女武者は、あざけるようにひとりごちると、
鮮やかな高飛びを見せて大童と奈美を追う。
「あたしも、火でも噴けたら、良かったのに」涙声でつぶやく奈美の手を大童は離
さないが、口調は鋭い。「後で練習しろ。今は走れ」大童は奈美の涙で濡れた顔を
見ようとしない。
「ほぅっ」息を込めるように長刀が振り下ろされ、アスファルトの路上に切り欠き
を残す。それをかわした大童が懐から取り出したのは、一束の懐紙。それをばさり
と束ごと投げると、懐紙は折り目からどんどん広がって一枚の紙となり、やがて巴
の行く手で壁となる。
「小賢しい」巴は吐き捨てると、長刀を左に持ち替え、短く造った脇差の太刀を抜
き払う。「磨き磨ける真澄鏡(まそかがみ)、まことならでは映し給うな」巴が刃
をかざし、壁をその面に映すと、懐紙の壁は力を失い、もとの懐紙となってぱらぱ
らと宙を舞う。
「兄様、先に行って。ここは私が」行く手の民家の屋根に、はるかが待っている。
はるかは短冊に一種の歌を書きつける。
ぬばたまの闇路に迷う乙女子や幸あらまほし幸あらむべし
「嘉言、かしこみ申さく」念を込めた短冊がひらひらと舞う。「ぬばたまの言霊、
勧請」
あたりに黒い玉が漂い始めた。その玉はだんだん大きく多くなり、やがて空を
覆い、あたりを闇に閉ざした。巴は再び脇差を抜くが、その面はすっかり闇に閉ざ
されて何も映さない。「ええい、あやかしの術者め」巴が悔しがった。
スリーアイ戦闘司令室では、状況が逐一モニターされていた。
「バリアーの準備はいい?」原田作戦主任が確認する。「標準出力で、約25分展開
できます」善音が応じた。「奈美ちゃんを収容したら、すぐバリアーを張ります。
ペンギンオーには外側で戦ってもらうけど、それでいいわね」「はーい。ペンちゃ
ん、いっきまーす」「くええええぇっ」どことなく緊張感を欠いた香とペンギン
オーは、ぺったぺったと研究所の正門をくぐっていく。
「晴明殿、晴明殿、おお何も見えぬわ」道誉は苦笑したような口調で、仲間を呼
んだ。「ほっほっほっほっ。このような闇など、人の心の闇に比べれば、明るい
明るい」晴明の声と共に、闇の中に小さな一対の目がひとつ、またひとつと現れ、
たちまち無数の光点が周囲を満たす。そのわずかな明りが合わさって、あたりの
様子が見えるようになってきた。「そこか。逃がさん」「おおっと」巴が叫んで振
り下ろした長刀の先を、大童ががっきとたたんだ扇で受け止める。「怒ると美容
に障るよ」「ほざけ」巴は飛びすさって次の攻撃の構えを取る。
その間に、奈美がスリーアイの正門に走り込み、背後を閉ざすように堅いポリゴ
ンのバリアーが研究所を覆う。はるかが流麗に印字を切って、ペンギンオーが戦い
やすいよう、ぬばたまの言霊を去らしめる。
「これはいけない。お前たち、道誉殿のお手伝いをするのじゃ」晴明の声に応じ
て、小さな瞳のものはひとつところに集まり、むくむくと成長した。そして…
「きいい」
現れたのは、あなおぞましや、黒く巨大なこうもりくぐつ。
「よーしペンちゃん、今度はやってくれるよね。ペンギンシャウトだぁ」
ペンギンオーは答える代わりに、ばたばたと短い羽根を震わせた。眉のような
飾り羽根に、黄色い模様が浮かぶ。
「くえぇぇぇぇぇええええいいいいい」
ペンギンオーは超音波を発した。ああしかし、こうもりくぐつは羽を広げて、そ
の超音波を受け止める。そしてこうもりくぐつの口から、今度はペンギンオー目掛
けて超音波が放たれた。「くええっ」どたどたと逃げるペンギンオーの後ろを破壊
の帯が追いかける。
「あれは、何」「コウモリは、跳ね返ってくる超音波を聞いて、暗闇でも障害物を
避けると言われておる。おそらくペンギンシャウトの超音波を自分のエネルギーに
変換してしまうのだな」歌川が原田に説明する。「そ、それじゃ、ペンギンシャウ
トは効かないの」原田は真剣な顔で、こうもりくぐつの大写しになったメインスク
リーンを見つめる。
「ペンちゃん速いねー」「くえっ、くえっ」逃げ足の速さを香にほめられたペンギ
ンオーは嬉しそうに鳴いた。こうもりくぐつは再び超音波を吐き、ペンギンオーは
どたどたと逃げる。「くええぇえぇ」
「こうもりくぐつ、こってい鳥は後でよろしい。きゃつらの根城を先に破壊するの
です」道誉の指示で、こうもりくぐつは攻撃目標を変えた。
時折翼を動かすだけで、薄い翼で直線的に滑空しながら、こうもりくぐつは超音
波をスリーアイに浴びせた。行き過ぎては撃ち、行き過ぎては撃つ数度の発射で、
バリアーにやがて蜘蛛の巣状のひびが入り始める。「バリアーの出力を最大にして」
原田が叫ぶ。「こんな出力では、あと5分でバリアーがなくなっちゃいますぅ」菊音
が困った声を上げる。「その前に割れちゃうよ、これじゃ」つぶやく琴音が見上げ
るメインスクリーンには、どこから撮っているのか、攻撃を受ける研究所の全景が
示されている。
「えーっ、どうしたらいいの。ペンちゃん飛べないしー」困った香のもとに、原田
から通信が入った。「香ちゃん、聞こえる? さっきのくぐつ獣の攻撃パターンをリ
プレイしてみたんだけど、自分が超音波を放つ瞬間には、少し羽根が閉じるの。きっ
とこのときなら、超音波を吸収できないわ」
「撃たせて撃つんですね。よーし。ペンちゃん、やってみようよ。一発に賭ける青
春よっ」「くええ」香はペンギンオーをぴょんぴょんとジャンプさせた。「こうも
りこちら、ペンギンの方へ。ペロペロバー」香はペンギンオーのまぶたを引き下げ
ようとしたが、羽根が短いので届かない。
その様子を、ビルの屋上で余裕たっぷりに見ているのは、道誉である。
「放っておきなさい、はやく根城の怪しい壁を崩すのです」「やーい、やーい、派
手男」香は道誉を怒らせる作戦に切り替えた。「ほほほほ。このバサラの美を、下
衆には理解できますまい」「若作りのキンキラオジン」「うっ、うぬぬぬっ」「粋
がってんじゃないわよ、この金粉ドロガメ」
「ええいっ。その口二度と利けぬようにしてやるっ。こうもりくぐつよ、まずこっ
てい鳥から血祭りに上げろ」道誉は挑発に乗った。こうもりくぐつが滑空するコー
スを変える。
「来るわよ、ペンちゃん」香が低くささやく。「チャンスは一度、いいわね」
「きいいいぃぃぃいいいいいいい」こうもりくぐつが超音波を放つ。
「くえぇぇぇぇぇええいいいいい」すれ違うようにペンギンオーが超音波を放つ。
しばらくは音もなく、乾いた風が吹きぬけていく。
「勝ったの?」戦闘司令室で原田がつぶやくが答えるものはない。
ペンギンオーの脇腹が黒くこげている。それに気づいたペンギンオーが羽根で脇
腹をさすりながら、足踏みして騒ぎ立てた。「くえええっ。くえええっ」
低く大きな音がして、こうもりくぐつが地上に激突し、爆発した。
「ちいっ。この勝負、預けたぞ」巴が人とは思えぬ跳躍を見せて、大童とはるかか
ら離れていく。大童は荒い息を収めると、手近の壁にもたれかかった。
「恐ろしい人ね」はるかがその後ろ姿を目で追うように言った。「心に隙がない。
何を望んで生きているのかしら」
「くええええ」格納庫のペンギンオーはまだ悲しそうな声を上げている。その周囲
では、工作ロボットが忙しく立ち働き、脇腹に合わせた外装板のシャーリングに余
念がない。「泣くな泣くな。ちゃんと直してやるから」尼崎が屈託のない声をかけ
た。
「おかえりなさい」香は奈美に明るく声をかけた。数秒の無言。
「ねえ、ペンちゃんのこと、きらいになっちゃった?」香はおずおずと聞いた。
「そんなことないわ。結果を出せないで、先にお友達になっちゃうのって、なんだ
か悔しいけど」奈美の声がだんだん小さくなる。「でも、あたし、やっぱりここが
好き。だから」奈美は微笑んだ。「ペンキャリーに乗るわ」
「あたし、あなたのペンキャリーがいないと、遠くへ歌いに行けないのよ。だから、
お願い」香は手を合わせて、上目遣いににこっと笑った。「もうどこへも行かない
で」「うん」奈美はうなずいた。
もし、あたしがここに来なかったら…香はそう思いかけて、心の中で首を振った。
そのことだけは、香はどんな時も、思わぬことにしている。旅から旅の仕事をする
ということは、自分の居場所ではないところに行くと言うことなのだ。
本当のお友達になるには、まだ少し時間がかかるね。でもきっと大丈夫だよ。ふ
たりの女性は、無言でそんなことを語り合っていた。
もうすぐ、準備は終わりますよ。
海の中のそれは、ペンギンオーと定時連絡を取っていた。この6時間に起こったこ
とのデータが、互いに交換される。
そう。よかった。いい人たちみたいですね。手伝わなくていい? いつでも言って
くださいね。今度のことも、ちょっと危なかったんじゃない?
ふふ。そう。すっかり気に入ったんですね。やれるところまでやってごらんなさい。
緊急発進くらいで、もう私たちの予定が遅れることはありませんからね。
今はまだ分かりません。暗鬼党と名乗っているのは、たぶんあいつらだけど。
はいはい、わかりました。そのことはまた、相談しましょう。データが揃わないう
ちに、そんなことは決められませんから。
海の中のそれは、通信を終えると、海水を取り入れるハッチを開閉した。
んぱ。
「奈美さん、もうどこへも行かないって。良かったわね」はるかに声をかけられた
大童は、生返事をした。「あ、ああ。じゃ俺、ちょっと夜遊びに」
大童は後を振り向こうともせず、スリーアイの廊下を立ち去っていく。その後ろ
姿を見送りながら、はるかはくすくすと笑った。
兄様のような人でも、言霊使いのあたしに、見え透いた照れ隠しをするのね。は
るかは肩をすくめると、作戦準備室へと向かった。
ドアを開けたとたん、香の声が聞こえてきた。「あはははははははー」
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A Drop of Shine
まっくろくろの黒猫さんに 光る瞳があるように
明るいことがひとつくらいは 見つかるよ見つけちゃおうよ
いいことばかりあるわけないよ 悪いことだって途切れるよ
新月の日のお月様だって あるんだよお空にちゃんと
流されたら世界が広がる 押されたらパワーが上がる
住めば都 今いるとこ 今日はそこからスタートダッシュ
とにかく歩き出さなけりゃ 転ぶチャンスもないじゃない
上から見たり下から見たり たくさんの目を心に持とうよ
素直な心で見つめれば 暗いとこでも目が慣れる
ひとっかけらの光があれば 何だって照らし出せるよ
第4話「声なき刺客」
東名リニアモーターチューブの静岡ジャンクションでは、香たちの新しいトレー
ラーに、カートが取り付けられるところであった。トレーラーの側面には「来栖
かおり」の大きな真新しい文字が躍っている。
「これでまたどこへでも行けるね」香は弾んだ声を上げた。
「ペンキャリーの燃料がもったいないから、九州へは行かないでくれとか行って
たわよ」タコさんが携帯通話端末のアドレス帳をスクロールさせながら言った。
チューブに上がるとリニアモーター・ロコの制御に従うしかないので、タコさん
には電話くらいしかすることがない。今カートは待機レーンに進入して、ロコに
つながれるところである。
「ケチだねー。地球を7周半できるんでしょ」香は言った。「九州のファンが待っ
てるのになー」
「香ちゃん、この前九州に行ったん、いつや」イカさんが聞いた。ロコはまだ発
進しない。静岡ジャンクションから京都ジャンクションへの相乗り客を30分間待
つ、というエコノミーコンボイ料金を選択したので、まだ発車しないのである。
といっても時刻表に従って発車するので、正味30分待つわけではない。
「えーとね。えーとね。高校の修学旅行のとき。長崎行ったの」香は言った。
「やっぱりライブやったことないやろ。わしも思い出せんかった」イカさんが言
うと、タコさんも無言で肩をすくめた。「長崎で、何見てんや」
「えーとね。皿うどんと、長崎ちゃんぽんと」
「何見てんや、言うたんや」
「他に何かあったかなー」
「グラバー邸とか、浦上天主堂とか、いろいろあるやろ」
「ああ、そうだ。長崎ってねー。練り物がおいしいんだよ。かまぼことか、あっ
カラスミも長崎だ、あーっ、ねえ聞いてよー」
ガシャンと音がして、コンボイの最後尾にもう一台ロコが連結され、低く発車
ブザーが鳴った。
今日の野外ライブ会場は、高校野球などで使う、ローカルな球場らしい。会場
に着いた香たちは、顔を見合わせて困った顔をした。
「もめちゃわないかなー」「バイト足りるかいな」「困ったわねえ」
まだまだ開場には間があるが、カメラを持って来ている客の姿が、やけに目に
付くのである。ライブといえばカメラご遠慮は世界の常識である。地元の興行元
がもちろん会場整理係を用意しているが、入り口で入れるの入れないの預るのと
いった処理が長引くと、開演が遅れる原因になりかねない。それにしても、申し
合わせたように望遠レンズをつけているのはなぜだろう。
突然、カメラが一斉にひとつの方向を向いた。
空?
そう。香たちの後をついて、いつでも出撃できるようペンギンオーと共に飛来
した、大型輸送機ペンキャリー。青と白のツートンカラーの機体が、球場の周り
を2周して位置を確認すると、着陸場所として借りた戦略自衛隊大久保駐屯地に
向かって飛び去って行った。地上ではしばらくシャッター音とビデオのモーター
音が控えめなアンサンブルを響かせた。
「そーいうことだったわけー」香がげんなりと言った。
「航空ファンのお兄さんたちなのね」タコさんがぽつりと言った。
「VTOLで4発でジェットときたらそら珍しいわな。これから当分ああいう人らが
ついて来おるで」イカさんが無表情に言った。
「ふー」3人は、一斉にため息を吐いた。
「香ちゃん」タコさんが真剣な声で言った。「いっそペンギンオーに乗ったまま
でコンサートやったら、受けるんじゃない。ペンキャリーに上空で回ってもらっ
て」
「ペンちゃんに乗って、『アキバにいこうよ』を振りつきで歌うわけ」香は言っ
た。「もう一度言ったらペンちゃんに踏んづけてもらうからねっ」
アンコールを歌い終わって、香が上機嫌でへとへとになって楽屋に帰ってくる
と、見知らぬ中学生くらいの少女が、タコさんと押し問答をしているところだっ
た。長い髪をポニーテールにした少女は香を見ると、顔を輝かせてぺこりと挨拶
した。「あっ、あのっ、私」「だから困るって言ったでしょ」タコさんが言いつ
のる。どうしてだか見当もつかないが、ファンが楽屋へ通ってきてしまったらし
い。
「まあまあ、いいじゃないの」香は鷹揚に言った。「すっ、すみませんっ。あた
し、病気の弟がいて」「ふんふん」香は同情を込めて少女の顔を覗き込んだ。
「お、弟は、航空ファンなんです。弟に一目ペンキャリーを見せてやりたくて」
「香ちゃんっ。暴力はいかんでっ。暴力はっ」ステージからちょうど戻ってきた
イカさんが香の腕をつかまえる。
「だってえぇ。だってえぇ」香はじたばたとわめいた。
「ほんとうにありがとうございます」「ま、これも何かの縁だしー」
ペンキャリーの中でもう一度お礼を言われる香の機嫌は、どうもあまり良くな
い。「ね、ねえ。この操縦席って広いのねえ」なんとか場を持たせようと、タコ
さんが操縦席の奈美に話しかけた。
「機材を入れると移動司令室になるの。あなたたちが座っているのは、オペレー
タシートよ」そういえば向かい合った座席の中央がぽっかりと空いていて、床に
固定位置らしき金具がついている。「いつもは、無茶苦茶無駄なんと違うか」
イカさんが室内を見回した。
「さあ。私には科学の心なんか分からないから」奈美も機嫌がよろしくない。空
のタクシーのように使われているのだから無理もない。
「あっ、あれです。あの療養所です」少女が山すそのビルを指差した。奈美がそ
れを確認して言った。「高度を下げるわよ。シートベルトをお願いします」
ペンキャリーは療養所の周りをゆっくりと2周した。
「もういいでしょ。よかったね」香が少女に声をかけた。少女はにっこりと微笑
んだ。「ええ、本当に」少女のあどけない表情が一変して、人の悪いほくそえみ
になった。「礼を言うぞ」その声はすでに、低い男のそれである。
「あなたは、誰」香の叫びに、少女ならぬものは答えた。「暗鬼党七人衆が一人、
小角(おづの)。いささか術を用いて、貴様らをここに誘(いざな)った。見よ」
空がわずかに暗くなり、機体が激しく揺れた。「きゃあっ」奈美が叫ぶ。
エンジンは正常に動いている。しかし何かの力が働いて、ペンキャリーが前進
していない。「我が結界からは誰も抜けられん。あきらめてペンギンオーを渡せ」
「このぉ」小角の声で話す少女に、イカさんが飛び掛かった。「音声(おんじょ
う)など我に無用。結界の中より、すべての音を去らん。ふははははは」哄笑を
残し、少女の姿は歪み、消えた。後には奇妙な文字を書いた白い紙が残るのみで
ある。
「ペンキャリーを地上へ」下ろすわ、と言おうとした奈美の言葉は、誰にも聞こ
えなくなった。
異状は、スリーアイ戦闘司令室でもキャッチされていた。
「やはりペンギンオーを狙ってきたか。大童とはるかを先行させておいたのは、
正しかったな」田沼長官は言った。メインスクリーンに、大童とはるかが半々に
映る。「阻止行動、承認」長官は叫んだ。「結界からペンギンオーを救出せよ」
「結界の呪文は、どのように維持しておりますのかな」歌川科学主任があたりを
見回して言った。「印形(いんぎょう)と梵字(ぼんじ)を使った、密教系の呪
法を使っているんじゃないかしら」原田作戦主任が答えた。「音のない世界じゃ、
はるかちゃんの力は、ほとんど発揮できないわね」
「超能力者の力の形は、容器に過ぎん。中の力が十分にあれば、新たな形を結ぶ
ことも出来るのだ」田沼長官はメインスクリーンをにらみつけた。「あとは…」
小角の本体は、診療所と紹介されたビルの屋上にいた。複雑に指を動かしては
印字を切り、結界を保っている。その視界に、着陸態勢に入るペンキャリーが入っ
た。小角はぎょろりと目を光らせ、懐に手を入れると、二本の指で梵字を書いた
札をつかみ出し、ひょうと投げた。白く細い光の柱が立ち、その周囲に雲のよう
なものが渦を巻く。渦はやがて地上近くまで下りてきて、吸い込まれるように山
の背後に集まった。
むくり。山の向こうから起き上がってきたその姿は、声を持たないうさぎくぐ
つ。ゆっくりと顔が動き、その無表情な目がペンキャリーを見つめる。
香はエアロックを抜けて、ペンギンオーの胸のあたりに開いた乗降用ハッチを、
思い切って開けた。与圧されていた室内に、強い気流が吹き込んでくる。
”ペンちゃん。乗せて、ペンちゃん”
言葉での指示は出来ない。どれだけ明確なイメージを伝えられるか、香にも自信
がない。やがて音もなくペンギンオーの胸が開き、光線が香を迎えて、操縦席に
誘った。
言葉がなくても、ペンギンオーの思考の暖かみが伝わってきた。だが細かいとこ
ろは感じ取れない。細かい指示が分かってもらえるか、不安がつのる。
”あたし、自分の望みを言うばっかりで、ペンちゃんの気持ちを聞いてあげてなかっ
たんだね”香は思った。ペンギンオーの思考が、何かパルスのようなものを送って
きた。きっとそれは、人間の微笑に相当するのだろうと、香は思った。
ぺたんっ。機首を上にしてホバリングする独特の姿勢になったペンキャリーから、
ペンギンオーが音もなく大地を踏み締める。ペンキャリーはまず主翼を90度回転さ
せてホバリングに入り、それから重心を制御しつつ胴体を垂直方向に立てて、ペン
ギンオーを送り出すことができるのだ。
うさぎくぐつは機敏に動き、後ろ足の強いばねを活かして、体当たりを仕掛けて
くる。それを何度も食らって、ペンギンオーはバランスを崩す。香の指示はだんだ
ん混乱してきて、しかも間に合わない。
”ペンちゃん、ごめんね。ペンちゃん、こんなことしたいの? あたしといっしょ
に戦いたいの?”香は思った。とうとうペンギンオーがバランスを崩して倒れ、香は
壁に叩き付けられた。香は声にならない叫びを発した。
香は、目を覚まされるような、強く明確な思考を受け取った。きっとペンちゃん
が怒っているんだ、と香は感じた。
ペンギンオーの眉の飾り羽は、いまや赤く輝いていた。
大童とはるかは、結界の前に立ちすくんでいた。「とにかく、やってみるしかな
いわね」はるかが短冊を取り出す。
磐境(いわさか)を堅み鳴神(なるかみ)音なえば
岩瀬の森の鳥も応(いら)えん (注)
「嘉言、かしこみ申さく」はるかの声が、心なしか不安に震えている。「鳴神の言
霊、勧請」
答えは、空からやって来た。稲妻と共に、雷鳴が結界を直撃するが、中に届いた
様子はない。「今一度」はるかが天を仰いで叫ぶ。再び稲妻と雷鳴が結界を見舞う
が、破れない。
大童は無言で、結界を見詰めていた。
「原田君、なぜ大童が扇と懐紙を使うか、分かるかね」「長官」戦闘中に雑談はお
止しください、と長官席を見上げた原田だったが、田沼長官の表情が思いのほか真
剣なので、そのあとの言葉が継げなかった。「田沼新三郎の跡取りであることと、
そうやって折り合いをつけているのだよ。ことさら大名のお坊ちゃんを気取って、
自分を茶化しておるのだ」
日本のGDPの5%を生産すると言われる田沼グループの三男坊であり、成功した工
学者である父。決して勝てない存在である父との対決を、そうやって大童は回避し
続けているのである。
「だが違うのだよ。私は私だ。大童は大童だ。本当に必要が生じたときには、持っ
ているものは何でも使わねばならんのだ。容赦なく、ためらいなくだ。そうやって
私はスリーアイを作った」歌川と尼崎が、また始まった、という顔で田沼長官を見
ながらにやにやしている。
「大童は必ずあの結界を破る。なぜなら彼は」田沼の言葉は、その大童の声にさえ
ぎられた。「あなたの息子だからですよ、ダディ」
大童は、いつのまにか傘を拾っていた。ちょっと洒落た、格子模様の男傘である。
「日本駄右衛門(歌舞伎「青砥稿花紅彩画」に登場する盗賊、いわゆる白浪五人男
の筆頭)でもやるつもりか」田沼長官が何かを待っているのが、原田には分かった。
大童はその傘を広げたまま両手で前に構えると、くるくると回し始めた。やがて
その前に不思議な空間が形を成し始めた。細長い不透明の円錐が、傘を底面として
形作られる。やがて大童はそのまま、結界に向かって走り出した。「そうだ大童、
余計なことを考えるな」田沼長官は長官席から身を乗り出した。「今日の長官、頼
りになりそう」善音が言った。「おとうさんモードですねー」と菊音。「久しぶり
だよね」琴音が長官をちらりと見る。「いつもこうだと楽なんだけど」思わず口に
出してしまった原田が、三つ子オペレータの視線が集中するのを感じて、小さく咳
払いする。
「フラアアァァァァ!」大童は今や全速力で、結界に向かっている。「走れ!」
田沼長官が檄を飛ばす。
円錐の先端が結界に達した。スパークが散る。強い抵抗に遭うが、大童は前進を
止めない。やがて手応えが緩み、結界にひびが見えたその時、円錐を抱え込む腕が
現れた。背は低いが大力そうな男である。
「貴様も暗鬼党か」大童が問い叫ぶ。「金時」男は短く答える。
押し戻されそうになる大童に、はるかの声が聞こえる。「敢えてかしこみ申さく、
重ねて勧請、鳴神の言霊!」声が恐怖と戦っている。言霊を三度呼び出せば、術者
にも返りがあると思わねばならない。
雷は、金時を撃った。金時の体から力が抜け、めりめりと音を立てて背後の結界
が破れる。結界のかけらがつぎつぎと大地を打ち、消滅する。「やったぞ、はる
か…はるか!」はるかは倒れている。直接の返報は受けなかったものの、気力を使
い果たしたのである。大童ははるかを抱き起こした。「兄様、中に、行かなくてい
いの」はるかは気丈に笑った。「野郎」大童は傘を振り回し、結界のかけらを自ら
の小さなシールドではね逸らしながら、閉じられていた空間に走り込んだ。
「結界が破られただと」小角はうめいた。「うさぎくぐつよ、早く片をつけるのだ」
「もうペンちゃんに、つきまとわないで」香が叫んだ。「ええい、止まるな。狙い
をつけさせなければ、勝機はある」うさぎくぐつは小角の指示を受けて、元気良く
ぴょんと飛び上がった。
その足の前にぐっと突き出されたのは、大童の作り出した円錐形の槍。
うさぎくぐつは空中に一瞬静止したあと、手と足と耳をバタバタさせて前向きに
引っくり返り、地面に叩き付けられた。そこを狙って、ペンギンオーの飾り羽が黄
色く光る。
「くぇぇぇええええいいいいいぃぃぃ」
ペンギンシャウトを浴びたうさぎくぐつは、胴体を吹き飛ばされて四散した。
「大童君、はるかちゃん、お疲れ様。状況を終了します。長官?」原田は田沼長官を
振り返って、小さな声で尋ねた。「先ほど何とおっしゃろうとしたんです。大童君
について」
「術者は形に心を満たそうとするが、形もまた、心の現われなのだ」「は?」
「これ以上は、親の口からは言えんな」田沼長官は苦笑いして、専用エレベータで
戦闘司令室から降りて行った。
形には、心が現れる。大童が最後に作ったのは、ヨーロッパ騎士の馬上槍の形。
姫君を賭けて戦う、男たちの形。
薄暗い闇の空間に、つどう8つの影。
「これでみんな一度は失敗したわけだねぇ」若々しい声に、わずかな辛辣さの成分
が混じって、それが波紋のように幹部たちの心に染み透る。
「力で、押された」金時は低い声で言った。ゆっくりとした大きい息遣いが聞こえ
る。無口な金時としては、精一杯の怒りの表現であろう。
「一戦ごとに強くなってきている」小角が誰に言うともなく言った。我らのような
ものにとっては、それが一番…」「言うな」鎮西八郎が、鋭くさえぎった。
「大丈夫だよ。まだ始まったばかりじゃないか」若々しい声は優しいようでいて、
冷たさを含んで聞こえた。「この少名(すくな)を信じて欲しいな」
少名はくつくつと笑ったが、その笑声は陽気の対極にあった。
今日の打ち上げは、京都のとある小料理屋、と言いたいが、ただの焼き鳥屋の座
敷である。
「香ちゃん、ぐーっといこう、ぐーっと」「飲まいでかぁ」もう香も奈美も目がす
わっている。
「ねえ香ちゃん」「なあにー」タコさんは猫なで声を出した。「芸名変えない?」
「えー?」「来栖キャリーになって、で、ペンキャリーの横っ腹に大きく名前をさぁ」
「タコさーん」香が目をむいた。「成敗しちゃあうっ。そこに直りなさぁいっ」
「香ちゃん、暴力は、んごおおぉっ」香の振り回した手をあごに食らったイカさん
が昏倒する。「あーっ、イカさん、イカさぁん。誰がやったのよっ」「あんたよー」
言いながら奈美がテーブルに突っ伏した。
京都の夜はかなり更けてきたが、まだ終わりそうになかった。
(注)磐境=神域。ここでは結界のこと。 磐境を堅み=結界が堅いので
鳴神=雷 音なう=訪うとも書き、音を立てること。転じて、訪れること。
岩瀬の森=正確な位置は現代に伝わらないが、ほととぎすの名所として古歌によく
登場する。「言わせ」との掛詞。
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アキバへいこうよ
アキバでデートしちゃいけないなんて誰が決めたの 電気街口改札前に1時集合よ
だってたくさん持てるじゃない ふたつのリュックとあなたの両手
ケータイ持って二手に分かれて 値段見ながらかくれんぼ
そしてふたつのソフトクリーム やっぱりこれがなくっちゃね
指輪なんて要らないから 買って欲しいものがあるんだ
メタリックホワイトに光る プラチナの導線(リード)1メートル
デジタルグッズがカワイクないなんて誰が言ったの 何号店も何番館も夢でいっぱいよ
ピコピコ光って素敵じゃない テーブルタップもいっしょに買うわ
出物あったらコールしてよね 狙う型番このメモ見て
戦果抱えてソフトクリーム どしたの疲れた顔してさ
一度誓うためじゃなくて 毎日パルス送りたい
一生大事に使うわ プラチナの導線(リード)1メートル
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