「ファイバーキッド」

第1話 「たたかえファイバーキッド」


 難波肇が胸元から伝わる振動を感じたのは、新宿近くで信号待ちをしているとき
だった。平日の昼どきだというのに、この街にはショッピングの人並が絶えない。
 バイクを道の脇に寄せた肇は、胸からポケベルを取り出した。この時代、数字の
送れるポケベルを一般人が持つことなど考えられない。従ってそれを盗聴しようと
手ぐすね引くものもいないのだが、組織の考えることは念が入っている。アメリカ
の通信衛星を介して送られてくる信号は、考えられる限りの高度なセキュリティレ
ベルを誇っている。その信号は、こう告げた。
 49 5151
 至急来い来い。作戦本部への出頭命令である。肇は小さく舌打ちすると、「自由
な狩り」を打ち切って本部に帰ることにした。こんなうららかな春の日は、新宿御
苑のあたりをパトロールしようと思っていたのだが。奴らだって気持ちよく悪事を
働きたくなるときがあるに違いない。
 肇はバイクのエンジンをふかすと、右折禁止の交差点を強引に曲がって行った。
盛大なクラクションが背中で聞こえたが、いつものように無視した。

 カレーとコーヒーの店「るんるん」は表通りから5軒分くらい路地に入ったとこ
ろにあって、昼食どきと会社の退け時以外は客のやって来ない店である。ドアをく
ぐると、鈴がちりりんと鳴る。肇は挨拶もそこそこに、不遠慮にカウンターから身
を乗り出した。
「おっ、ターメリックライスじゃんか。やるなあおっさん。まるでカレー屋だあ」
 炊きあがったばかりの黄色いターメリックライスを混ぜ返しながら、マスターは
にこりともせずに応じた。
「お前には、食わさん」
「客になんにも出さなきゃあ、ほかのお客が怪しみますよ」
 マスターは、ふん、とせせら笑った。
「で、パトロールを打ち切るほどの用事ってのは」
「惜しいことをしたな。今日は桜がきれいだったろう」
 肇は舌打ちをした。もちろん肇の体内には高性能発信機が埋め込まれていて、肇
がA地点にいようとB地点にいようと、作戦本部のモニターから光点の消えること
はないのだ。

「貯水池に、毒を?」
「正確には、毒ではない」
 立体映像の男性は丁寧な応対をする。この観音博士がどういう身分なのか肇は知
らないが、立体映像としては何度となくお目にかかっている。科学者ではあるが、
科学者以外の人間と話すことに慣れた人間であるらしい。
 観音博士は、試験管を振った。
「きのう国立秘密研究所から盗まれたハイドロジェン・デストロイヤーは、水の中
の水素だけを選択的に蒸発させるものだ」
 試験管の中身が、水の入ったフラスコに開けられた。観音博士がマッチを放り込
むと、ぽん! と音がして、小さな爆発が起こった。もっとも立体映像の世界では
あるが。
「これが水道システムに注ぎ込まれたら、どうなると思う?」
「日本中の台所が爆発するっていうんですか?」
「惜しいね」
 観音博士は科学者らしく厳密であった。
「日本中の浄水設備が爆発するのだ」
 肇は思わず立ち上がった。
「どこへ行く! 作戦も立たんのに」
「バケツはどこだ。水をためなきゃ」
 1970年代、ミネラルウォーターはほとんど業務用にしか使われていないので、水
を買いに走ることを肇は思いつかない。
 ぼこっ。
 マスターにポリバケツで殴られた肇は、しぶしぶ立体映像の前に戻った。
「こんなのどうやって防ぐってんだよ」
「取水口の近くで撒かなければ、水素の発生範囲が広すぎるので有効なダメージを与
えることができない。そこがポイントだ」
「東京に取水口っていくつあるんだ」
 マスターがはじめて口を開いた。いや、東南アジア防衛機構SEADOのFクルーを
率いる文殊司令と呼ぶべきだろう。Fクルーは司令と、難波と、あとひとりから成っ
ている。そのあとひとりは現在悪を追ってヨーロッパにいるので、文殊司令の部下
は肇ひとりである。もちろん互いに存在を知らされることなく、多数のクルーが東
京を、日本を、世界を守っていることは肇も薄々感づいているのだが。
「有力な情報が、少年倶楽部から届いている」
 少年倶楽部とはSEADOのもとに組織された、正義と平和を愛する少年少女の集ま
りである。この組織が少年少女倶楽部と改称するのは1980年代になってからである。
「ガキんちょが頼りかよう」
「ガキんちょでも、正義を愛する心はお前のようなぐうたらヒーローよりしっかり
持っとる」
「ガキんちょはガキんちょだろ」
「ガキんちょはガキんちょでもあのガキんちょはなあ・・・」
「ガキんちょ、ガキんちょって、何度も言うなよな」
「やあ、ガキんちょじゃないか」
 いつの間にか店内に入ってきていたのは、少年倶楽部板橋3班班長代理のススム
君である。

 文殊司令が招き猫に見せかけた立体映像プロジェクターを棚に戻すあいだに、ス
スム君は肇に状況を話し始めた。
「ヒョウタン池の近くで、怪しい人影を見た隊員がいるんです」
「それで?」
「それだけです」
「それだけ?」
 文殊司令が言い添える。
「その程度の情報ですぐ動けるようでなければ、ヒーローとはいえんぞ」
「そうかなあ」
「ヒーローというものは、1週間に1度正しい情報をつかむために、残りの6日は無
駄足を踏んでいるものなのだ。足で稼げ足で」
「ドクロマンサーの制服を見まちがえる僕たちじゃありません」
 ドクロマンサーの制服は紫のボディスーツに白いドクロの染め抜かれたものである。
蝶が交尾相手に同族を選ぶように、Fクルーはドクロマンサーの野望を阻止するこ
とに全力を注いでいる。怪しくはあっても明らかに別の服を着ている人物を見かけ
ても、肇は放置することにしている。
「それもそうだ・・・では、すぐに急行しよう」

「ねえ、肇にいちゃん? 前から不思議なんだけどさ」
「なんだ?」
 難波の機嫌はあまり良くない。自転車のあとをバイクでついてゆくのだから無理
もないが。
「肇にいちゃんってなんでバイクなの? 自動車に乗ってるヒーローもいるでしょ?」
「俺も同じことを文殊のおっさんに尋ねたことがある」
「なんて言った?」
「昭和30年代だったらそれでも良かったけど、いまの東京で自動車だと渋滞にあった
ら終わりだからだそうだ」
「空飛ぶ車だったらいいじゃない」
「おまえ、買ってくれるか」
「ほんとは免許もってないんじゃないの」
「こーいつぅ」
「あはは、ここまでおーいでだ」
 自転車がバイクに向かって「ここまでおいで」もないものであるが、ススム君は
自転車をすかさず歩道に乗り上げた。肇は思わずバイクでタイル張りの遊歩道を走
ろうとしたが、最後の瞬間に理性がそれをとどめた。
 幼児の手を引いた母親が、ススム君の自転車を鋭い目で見ていた。肇がそちらを
向くと、母親はついと目をそむけた。

「ここが、ヒョウタン池の取水口だな」
 背の高い草が青々と茂り、春のなま暖かい風に乗せて草いきれを運んでくる。
「こどもははいってはいけません」の立札が空しく朽ち果てているのを、わざと踏
んづけながら、ススム君が言った。
「この辺なんだ」
「なにか手がかりを探すんだ」
「手がかりって、どんな」
「それを探すのが少年協力隊というもんじゃないか」
「協力隊じゃないよ。少年倶楽部だよ」
「どうでもいいよ、そんなこと」
 肇は子供が嫌いである。ススム君が嫌いなだけかも知れないが。
「あ、ねえ、肇にいちゃん。あれ、なんだろう」
 池の中に、真っ黒な野球のボールのようなものが幾つも浮いている。拾い上げよ
うとすると、ぬるりとした透明なゼラチン質で周囲を被われていることがわかった。
 あまり気色悪いので、肇は誤ってボールを落としてしまった。べちょっとゼラチ
ン質が潰れて、黒い中身が水に触れた。
 しゅうううううううう。
 天ぷらを揚げるような勢いで、気泡が吹き出した。
「ハイドロジェン・デストロイヤー!」
「ついに見つけたな、ゲフゲフゲフゲフ」

 いきなりふたりの背後に現れたのは、全身にイボをつけたクリクリ目玉の鼻ぺ
ちゃ男。幅広のベルトに大きなドクロマークのバックルをつけている。恥ずかしい
ことに何も着ていない。
「我が名はカエルマンサー。我らが作戦を邪魔する難波肇、生かしてはおけん」
「出たなカエルマン」
「カエルマンサーだ。ゲフゲフゲフゲフ。やってしまえ」
 紫色の服を着た戦闘員がわらわらと草むらから飛び出してきた。
「ススム君、逃げるんだ!」
 返事がないので肇が振り向くと、ススム君の姿はとうに消え失せていた。舌打ち
をした肇は両手の人差し指を目の前で交差させる得意のポーズをとった。
「成形!」
 見る見るうちに肇の四肢を超硬化炭素繊維が被った。肇は手足をぶんぶん振って
ポーズを決める。
「ファイバーキッド、推参!」
「ゲフゲフゲフゲフ。現れたなファイバーキッド」
「キャン、キャン」
 最後の声は戦闘員たちの声である。礼儀正しくひとりずつかかってくる戦闘員
を、ファイバーキッドはあるいは殴りあるいは蹴飛ばし、リズミカルに倒してゆ
く。約80秒で12人の戦闘員を倒すと、戦闘員は途切れ、怪人だけが残った。
「ゲフゲフゲフゲフ、勝負はこれからだ」
「逃がさんぞカエル男」
「カエルマンサーだ、ゲフゲフ」
 数度ふたりはパンチを交差させた。キッドの回し蹴りが2発ほど命中する。よろ
けるカエルマンサー。キッドはジャンプして前転を決めた。
「四分五裂キーック!」
 そのとき。ぼっ!という音響とともに、カエルマンサーの口から、炎の筋が空中
に走った。キッドはどさりと倒れ、ころげ回った。体のそこかしこから煙が上がっ
ている。
「見たか、カエルマンサーのヒンデンブルグファイアー!」
 ああなんということだろう。カエルマンサーは体内にハイドロジェン・デストロ
イヤーを蓄えていて、水素の炎ですべてを焼き尽くすことができるのだ。
 あちこちの関節部分が溶融したファイバーキッドは満足に戦える状態ではない。
後じさりするファイバーキッドに、じりじりとカエルマンサーが迫っていた。ああ
このままファイバーキッドは倒されてしまうのだろうか。明日への希望は失われて
しまうのだろうか。
 カエルマンサーの背後で、テケテケテケテケというエレキギターの音が響きわ
たった。
「喜ぶのはまだ早いぞ、カエル仮面」
「カエルマンサーだっ」
 カエルマンサーが振り返ると、黒いタイツ姿でサングラスの男が、エレキギター
をかき鳴らしている。
「正義を通し悪を遮る、すべての愛の増幅者、トランジスタ仮面参上!」
「ゲフゲフゲフゲフ。時代遅れなやつめ。灰になってしまえ」
「バトルフープ!」
 トランジスタ仮面はいつの間に取り出したのか、針金状のものでできた大きな
輪を投げた。大きな輪は見事にカエルマンサーをとらえ、数周の後にカエルマン
サーは両手を縛られてしまった。
「おのれえっ」
 トランジスタ仮面は悔しがるカエルマンサーを無視して、素早くファイバーキッ
ドを抱えあげると、もがくような身ぶりで空を飛び、消えていった。

「気がついたか。」
 肇は気がつくと、「るんるん」の奥に寝かされていた。
「おっさんが助けてくれたのか」
「無能な部下を助けるのは上司の仕事だ」
 トランジスタ仮面こと文殊司令は冷たく答えた。
「もう手間をかけんでくれよ。この年になるとあの格好は恥ずかしい」
「早速ですまんが、水道システムが危ない。すぐ出動してもらいたい」
 肇は声の方へ首を向けて、がばっとはね起きた。寝ている肇の目の前に、高さ20セ
ンチばかりの観音博士の立体映像が浮かんでいたのである。
「カエルマンサーの放ったハイドロジェン・デストロイヤーのソフトカプセルを分析
した結果、水には溶けるがデストロイヤーは通さない特殊物質でできていることがわ
かった。一種の時限爆弾のようだな」
「デストロイヤーが盗まれたのは昨日じゃなかったんですか。もうそんなものを持っ
てるっていったい・・・」
「そこが奴らの科学力の恐ろしいところだ」
「はあ」
「この物質を君の体に仕込んでおいた。使い方は任せる」
「任せるって、あの」
 文殊司令が重々しく言った。
「怪人には必ず弱点があるものだ。不安なら特訓でもしたまえ」
「しかし、俺の体はまだ・・・」
「寝ている間にすっかり直しておいた」
 観音博士の口調は明るく誇らかであった。
「テストはしたんですか? この物質」
「テスト? もちろん、していない」
 すべての逃げ道を絶たれた肇は、せいいっぱいのろのろと立ち上がった。
「ああ、大事なことを忘れていたようだ」
 肇は期待を込めて聞き入ったが、次の瞬間には後悔した。観音博士はあっさりこ
う言ったのである。
「幸運を祈る」

「ゲフゲフゲフゲフ。間もなく一斉にソフトカプセルからハイドロジェン・デストロ
イヤーが溶け出します。」
「よくやったカエルマンサー。首領もお喜びだ。ジコジコジコ」
 大幹部ハグルマンサーが前線視察に訪れている。
「日本征服の暁には、日比谷公園の隣に池つき一戸建ての宿舎をくださるとの仰せ
だ。ジコジコジコ」
「ありがたきしあわせ。ゲフゲフゲフゲフ」
「待て!」
 ファイバーキッドが、貯水池の堤防に現れた。
「うぬ・・・性懲りもなく。やれい」
 堤防の両側から戦闘員が現れ、ファイバーキッドと殴りあっては貯水池に落ちる。
25秒で6人をはたき落としたキッドは、カエルマンサーとハグルマンサーの前に立
ちふさがった。
「任せたぞ、カエル男」
「カエルマンサーですっ」
 ハグルマンサーは白煙とともに姿を消した。カエルマンサーはヒンデンブルグ
ファイアーでキッドを攻撃するが、キッドは右に左に炎をかわす。かわしながらも、
カエルマンサーを破る方法を考え続けているのである。
「ファイバーキッド、聞こえるか」
 ファイバーキッドの頭に埋め込まれた通信機が観音博士の声を伝える。この通信
機が変身していなくても使えればポケベルの必要などないのだが。
「ファイバースコープからの画像を分析した結果、水素が発生してからヒンデンブル
グファイアーが発射されるまでに0.3秒のラグがある。そこを狙えないか」
 ファイバースコープとは要するにファイバーキッドの目のことであって、同名の
医療機器とは関係ない。
 肇は映像をスローモーションで検討した。ファイバースコープの一部に四角形の
ウインドウが開き、発射の瞬間を映し出す。炎が吹き出す前に、カエルマンサーの
口が開いているのは、水素を吹き出しているのであろう。
「そうか! わかったぞ!」
 ファイバーキッドは叫んだ。
「ゲフゲフゲフゲフ。とどめだ」
 ヒンデンブルグファイアーを発射する寸前、ファイバーキッドは両手を水平に伸
ばし、掌を垂直に立てた。掌の下からパイプがのぞき、ハイドロジェン・デストロ
イヤー抑制剤が吹き出した。取付箇所の選択が60年代の感覚だな、とファイバーキッ
ドはちらりと思った。
 しぶきを上げて噴出した抑制剤はカエルマンサーの口に命中した。カエルマンサー
はあわてたものの、体内に発生しつつある水素をどうすることもできない。怪人は
見る見る風船のように膨れ上がり、やがてふんわりと浮き始めた。手足を空しくば
たばたさせている。
「フィニッシュ!」
 ファイバーキッドはジャンプした。
「七転八倒キーック!」
 四分五裂キックを特訓によって強化した七転八倒キックである。

「ゲフ〜〜〜〜〜!」

 カエルマンサーは空中で大きな音を立てて爆発した。文殊司令から連絡が入る。
「よくやったファイバーキッド。取水口のソフトカプセルは、少年倶楽部が回収して
くれる。すぐに帰投してくれ」
 肇はススム君が泥だらけの作業をするところを想像しながら、いそいそと帰途につ
いた。しかし翌日の某朝刊の東京版には、貯水池の清掃活動にいそしむ少年団体の作
業風景の横に、Vサインをしたススム君の写真が載って、肇を悔しがらせたのであっ
た。

 ドクロマンサーの野望は、今回もファイバーキッドと勇敢な少年たちによって防
がれた。しかしファイバーキッドに安息の時はない。戦えファイバーキッド。地球
の運命は君達にかかっているのだ。たぶん。









 第2話 「パブロフ・ウェーブ」

 初めての方への解説

 ファイバーキッド・難波肇は改造人間である。彼を改造したSEADOは東南アジアの
正義と平和を守る秘密結社である。ファイバーキッドは文殊司令や少年倶楽部のスス
ム君の力を借りて、悪の組織ドクロマンサーに敢然と戦いを挑むのだ。


 ここは東京・芝公園。東京タワーは今日も修学旅行生でにぎわっている。似顔絵
を描いてもらう者、東京タワーの形をした温度計を買って友人に冷やかされる者、
円形の展望室を走り回って教師に制止される者、思い思いに東京を満喫している。
周囲の道路ではタクシー運転手が深夜勤務に備えて昼寝している。うららかな初夏
の日はようやく中天にさしかかろうとしていた。
「ワオーン・・・・・」
「あれ、なんやろ。」
 耳の良い数人の生徒が、甲高い音を聞きつけた。
「ワオォーン・・・・・」
 鼓膜に鋭い痛みを覚える生徒が、だんだん増えていった。痛みは次第に頭に移動
して行く。そこかしこにかがみこむ人、人、人。
「ワオォーン・・・・・」
 痛みにうずくまっていた1人の生徒が、突然立ち上がって、自分も甲高い声で唱
和をはじめた。人間のものとも思えない、甲高い声である。
「ワオォォォーン・・・・・」
「ワオォォォーン・・・・・」
 生徒が、教師が、一般客が、似顔絵描きが、売店のおっちゃんが、次々に声を合
わせていく。ああなんと不思議なことだろう。彼らの目は怪しく青く輝いている。
 いまは1970年代なので、東京タワーの特別展望台は一般公開されていない。下の
大きいほうの展望台の天井の上に、すっくと立つひとつの影。これが声の主であっ
た。
「ワオォォォォォォーン・・・・・」
 彼こそはドクロマンサーの新怪人イヌマンサー。妖かしの超音波、パブロフウェー
ブで日本中の人間を条件反射させる計画である。しかしそのとき。
「そこまでだ、ドクロマンサー!」
 かすかな声を聞きつけたイヌマンサーは、周囲を見回した。東京はよく見えるが、
声の主が見えない。
「どこだ、どこにいる!」
「ここだ!」
「ここというのは、どこだ!」
「上を見ろ!」
 イヌマンサーは上を見た。なんと特別展望台からファイバーキッドが身を乗り出
している。
「とう!」
 ファイバーキッドは、特別展望台から展望台めがけてジャンプした。落ちてくる
までに数秒かかった。着地したとたん、展望台が大きく揺れたが、かろうじて天井
を踏み抜くことは避けられた。
「ふっ、馬鹿とヒーローは、高いところに登りたがる。ワンワンワン」
「ここで何をしている」
「東京タワーから日本中にパブロフウェーブを送信して、日本を麻痺させるのだ」
「ばかめ!」
 ファイバーキッドはイヌマンサーを指さした。
「アンテナの隣でわめいただけで、放送が送れるものか!」
「ワ・・・・ワンッ。そうだったのかあっ!」
「恥ずかしいやつめ。所詮犬知恵だな。地獄で物理の補習を受けるがいい」
 勝ち誇ったファイバーキッドは、パンチを繰り出した。右、左、右。規則正しく
繰り出されるパンチは、ことごとくイヌマンサーに防がれる。
 右回し蹴り。右回し蹴り。2発決まった。よろめき離れるイヌマンサー。
 「とう!」
 すかさずジャンプするファイバーキッド。両手を伸ばし、空中で後転する。必殺
の七転八倒キックの体勢である。
 そのとき。
「パブロフ・ビーム!」
 収束された超音波が、空中のファイバーキッドを襲う。
「うわああああぁぁっ」
 体勢を崩し、東京タワーの展望台から地上めがけて落ちて行くファイバーキッド。
「逃がさんぞ」
 地上におりようとしたイヌマンサーであったが、彼に取っては不幸なことに、さっ
き洗脳状態に置いた修学旅行生たちは、戦闘の間にすっかり回復していたのだ。
「あっ、なんや、こいつは」
「ハチ公や、ハチ公や」
「東京タワーの前に、ハチ公がおるかいな」
「どこにおるんか、言うてみい」
「えっと、予習に出てきいひんかったぞ」
「移転したんとちゃうか」
「とりあえず、記念に、毛え抜かせてもらお」
「いたたた」
「あほ、もっとごそっと抜いたらんかい。後輩のみやげになるやろ」
「いたたたたた」
「そういえば、ハチ公て歩くんか。銅像ちゃうんか」
「最新型なんやで。東京やもん」
「あ、尻尾踏んでもた」
「おのれえっ。ワオォォォォォォォン!」
「うるさいやないか、われ」
「あ、尻尾ぎゅうっと、踏んでもた」
 催眠効果を発揮する時間も与えられず、人いきれの中で踏まれこづかれ毛まで抜
かれたイヌマンサーがようやく地上に降りてみると、すでにファイバーキッドの姿
はなかった。


 ここは南アルプスのとある山あい。林はすでに下刈りの人手を確保することも困難
になったのか、そこここに倒木が折れかしぎ、蔦性の草々が杉の幹に跡をつけんばか
りに繁っている。登山家が登るには面白くないし、ハイカーが歩くには歩きにくいし
景色も良くない。その道を上って行くのは、ファイバーキッドこと難波肇と、文殊司
令。

「とんでもないところに住んでるんだなあ、そのおっさん」
「人混みがお嫌いだったからな。基地もやたら辺鄙でな。わしも最初のうちは、都心
まで自転車で2時間掛かって出動したもんだ。スクーターを買ってもらったときはう
れしかったな」

 文殊司令がまだ日本の平和を守るトランジスタ仮面として活躍していたころ、その
指揮官を務めていた先達に、イヌマンサーを倒す秘策を授かりに行こうと言うのであ
る。
 文殊司令は、朽ちかけた地蔵堂の前で立ち止まった。道自体が寂れているので、地
蔵堂も屋根が半分落ちてしまっている。それでもにこにことする石の地蔵に、文殊司
令は手を合わせた。

「肇、おまえもおがまんか」
「それが到着のサインなんですか?」
「惻隠の情というものがないのか」
 肇はしぶしぶ、きっかり2秒ばかり手を合わせて頭を下げた。しばしの間、鳥の声
だけが山道にこだまする。
「童子様が、サインを変えていないと良いのだがな」
 文殊司令は、周囲をぐるりと見渡すと、両手を構えて怒鳴った。
「やっほう」
「久しいのう、トランジスタ仮面」
 待っていたような声が、頭上から聞こえてきた。実際待っていたのであろう。
「童子様、あぶのうございます」
「なに、たまに高いところに登るのも、また格別じゃよ」
 やおら空中で前転をきれいに決めてひらりと地上に降り立ったのは、60はとうに越
えていると思えるおじいちゃんである。この老人こそふたりの訪ねてきた昭和20年代
の世直し男、真空管童子であった。

「超音波怪人じゃと」
「音を遮るすべを、教えて頂きたいのです。真空を操る童子様なら、イヌマンサーの
攻撃を防げるはずです」
 真空管童子は答える代わりに、後ろにぶすっと控えている肇に声をかけた。
「若い衆。名は何という」
「難波肇、ファイバーキッドです」
 にやりと真空管童子は文殊司令に向き直る。
「子を持って知る親心、かのう。お前も若い頃は、エレキギターの練習にかまけて肝
心なときにおらんかったりしたものじゃが」
 かすかな狼狽を上司に見て取って、肇は喜ぶ、ところだった。真空管童子がぎょろ
りと肇ににらみを効かせるまでは。目的のためには大を生かして小を殺す。その瞬間
の真空管童子の目は、冷徹な指揮官の目だった。大が手に入らぬ時は小で我慢してや
るか、とでもいいたげに。

 「まず、息を吐くのじゃ」
 肇は神妙な顔で、言われたとおりに息を吐ききる。数秒の重い時が流れた。
 「すると、腹の中に、真空が出来る」
 肇は何か言いたくなったが、ぐっとこらえた。
 「その真空を、口から吐く」
 げほっ、げほっ。肇は空しくせき込むばかりであった。
 「もう一度!」
 老いを感じさせぬ、というより、信念をもって老いを否定する真空管童子の声が、
ちっぽけな庵の前の空き地から、林に響きわたる。

 ぜい、ぜい。呼吸のたびに雑音が聞こえることに、肇はすっかり慣れてしまった。
喉をすっかり痛めてしまったのだ。庵の近くの泉は澄んだ冷たい水だが、それだけ
に喉にしみる。
 文殊司令が泉への道を上がってくることに、肇は気がついた。文殊司令は肇の肩を
たたいて、泉の傍らに座った。肇もそれに倣った。てっきり、ごくろうさん、とか何
とか言われるのだろうと思ったら、そうではなかった。
「おまえは、何のために戦っている?」
「正義と平和のためです」
「人のためか」
 肇は、なんと答えていいのか、分からなかった。なにか自分が考えたことのない
問題が、婉曲に提示されたように思えた。話題を変えることにした。緊要の話題に。
緊要だと思っている、話題に。
「ほんとに、あれで真空ができるんすか」
「肇は、どう思う」
「どうって・・・・」
「なにかお考えがあるのだろう」
 文殊司令は、いつになく淡々としていた。見ようによっては無責任にも見えた。
「このままじゃ、日本は、どうなるんです」
「どうなると思う?」
 文殊司令は立ち上がると、唖然とする肇を残して、庵への道を降って行った。

 その夜。
 こっそり起き出した肇は、ファイバーキッドに変身すると、有り合わせの木切れか
ら防音板をこしらえにかかった。ファイバーキッドは繊維を接着成形することに長け
ていて、植物のセルロースなどは簡単に武器にすることができる。
 表面に細かい穴の開いた2、3枚の防音板を作ると、ファイバーキッドは周囲の木
に飛び上がり、5メートルばかり上から、防音板をかざし頭を下にして切りもみで落
ちる、という妙な訓練を始めた。
「だめだ・・・・」
 いくつか打ち身や切り傷をこしらえた末、ファイバーキッドはこの方法をあきらめ
た。防音板自身がじゃまになって狙いが定まらないのだ。
「音を止める・・・音を止める・・・・」
 ファイバーキッドは、イヌマンサーとの戦いの記録を自らのファイバースコープ
に投影した。パブロフ・ビームをいまにも発しようと開く赤い口。
 口。
 そうか! わかったぞ!
 ファイバーキッドは防音板ならざるものを作り始めた。それが目的の形を取り始
めたとき、頭上から声がした。
「ついに気づいたか。よう致した」
 真空管童子はうっそうとした木の梢からひらりと着地した。ファイバーキッドの
手の内にあるものの形を見て、その意図と、その成功までを確信しているようであっ
た。
「問題を自分のものにすることが重要なのじゃよ。あてがい扶持の解法など、おぬし
の力にならぬ。」
「では、それを俺に気づかせるために、無駄な修業を?」
 それに答えてにんまりと笑った真空管童子の表情を、肇は何週間か夢でみた。

「せっかくじゃから馳走して進ぜよう。真空十八番のうち十三、真空静寂扼(しんく
うしじまのくびき)!」
 真空管童子はすうと息を吐き、さらに息を、いや、何かを吐いた。
 何も聞こえない。真空に包まれているらしい。周囲がゆらゆらと見えるのは、真空
と空気の境界が不安定に動いているせいであろうか。頭が酸素の不足でぼうっとする。

 やがて術が解け、ファイバーキッドはくたくたと膝をついた。十八番のうち十三と
いうからにはもっとすごい技があと5つあるのだろうが、想像する気にもなれなかっ
た。
「じゃが、おぬしにはまだ必要あるまい。はよう行け。ちいとは司令に孝行してや
れ。部下のために下げにくい頭を下げてくれる、得難い男よ」

 気がつくと、童子も庵も消え失せ、文殊司令とファイバーキッドが林の中にぽつ
んと残されていた。文殊司令は、まるで予期していたように、淡々と言った。
「行こうか」
「すごい人、だったなあ」
 我ながら間抜けなコメントだと肇は思ったが、ぴったりの形容を見つけることは
出来そうになかった。文殊司令はにっこりした。
「あのお方は、昭和20年代の空想科学を体現しておられる。なまはんかな近代科学の
尺度で測れるお方ではないのだ」
「おっさん、いらん頭を下げさせて、すまんな」
「なに、たまには出張したくてなあ」
 文殊司令もまた、肇の尺度で測れる人間ではなさそうだった。


 基地のカレーショップには、2人の客が待っていた。少年倶楽部のススム君と、
目のさめるような美少女である。
「小石川志保です」
 自己紹介を聞いて、肇はもう一度目をさました。朝のテレビドラマ「おだまり」
で薄幸の少女を演じて脚光を浴びている子役である。ススム君が横から口を出す。
「東西テレビのエジプト特集のスタジオに、怪しい犬の置物がいつの間にか増えてた
んだって。」
「やはりテレビ局を狙ってきたか。その番組は何時から始まるんだ?」
 司令の質問に、心持ち首をかしげて答える志保は、じつに愛らしい。
「今晩7時からです」
 肇は時計を見た。午後2時を回ったところである。悠々と間に合いそうだ。
「収録は2時半からですけど」
 肇は転がるように店の外へ飛び出して行った。
 文殊司令は、にやりとススム君を見た。
 「役得っていうのは、あるもんだなあ。こんな子とお近づきになって」
 ススム君はいかにも彼らしく、しゃあしゃあと答えた。
 「なあに、仕事上のつきあいだよ」


 本番5分前。作業ズボン姿の大道具が小走りにセットの背後を駆け抜け、ディレ
クターがカメラの配置に最後の調整を加えている。好人物で知られる司会者は眉を
釣り上げて、動物園の熊のようにいったりきたりしながら正解と解説をメモから頭
に移している。解答者席のコメディアンは天井を向いて瞑想にふけり、歌手はそれ
となくカメラの移動に気を配っている。作家は手帳を取り出して何やら書き込み、
教授はメイクの渋面に気づかないふりで、パタパタと解答用シートで自分をあおい
でいる。

「見つけたぞ、イヌマンサー!」
 大音声が観客席の後ろから響きわたる。止める間もなく、ファイバーキッドは高
い天井を利して飛び上がりざまに回転、回転、ついに4回転を決めて、一気にステー
ジに降り立つ。目指す犬の像は、ステージの最後部にあった。
 司会者が文句を言う前に、解答者席の作家が立ち上がった。
 「ファイバーキッド、全国一億の視聴者の前で、地獄へ行くが良い!! いひ、
いひ、いひひひ。ジコジコジコ」
 作家はジャケットを頭からかぶった。ジャケットがポロリと落ちると、そこには
幹部ハグルマンサーの姿があった。観客を装っていた戦闘員もステージに駆け寄っ
てくる。
 多勢に無勢の時は広い場所は不利である。ファイバーキッドは楽屋口から廊下に
逃れた。追いすがる戦闘員をあるいは殴り、あるいは蹴り、台車を押し出して3人、
4人と将棋倒しにする。なおも追いつめる戦闘員が角を曲がると、ファイバーキッ
ドが居ない。
「ここだ!」
 戦闘員が振り向くと、そこには構内放送のスピーカーがある。後ろから戦闘員を
蹴飛ばすファイバーキッドは有線マイクをまだ握っている。ファイバーキッドがチャ
イムを投げると、ド、ミ、ソ、ド、と音がして、4人の戦闘員がふらふら倒れる。

 ついにファイバーキッドは放送局の屋上に出た。イヌマンサーが続いて現れる。
互いに左手を伸ばし、右手を引いて構える。イヌマンサーが仕掛ける。
「パブロフ・ビーム! ワオーン!」
 右に、左に、超音波を避けるファイバーキッド。一瞬遅れて、今いたところは爆
発に巻き込まれている。超音波で爆発を起こす、おそるべきドクロマンサーの科学
力。
「イヌマンサー、これでも食らえ!」
 ファイバーキッドがついに取り出した、新兵器。
「ファイバーボーン!」
 名前を付けるほどのこともないが、ただの骨の形をした棒である。ファイバーキッ
ドの狙いは過たず、ファイバーボーンはイヌマンサーの口に食い込む。イヌマンサー
の理性はこれを離そうとするが、本能は骨の形をしたものをしゃぶり尽くすまで、
それを離させない。
「いまだ!」
 ファイバーキッドは、超音波を放てないイヌマンサーめがけてジャンプする。
「九分九厘キーック!」
 七転八倒キックを強化した九分九厘キックがイヌマンサーに、いま炸裂する。
「キャイ〜〜〜〜ン!」
 ああ、さしもの強敵イヌマンサーも、東西テレビの屋上から転げ落ちて爆発したの
であった。

 ドクロマンサーのおそるべき野望はついえた。しかし次の怪人は世界のどこかで、
牙か触手かハサミかヒレを研いでいるに違いない。たたかえファイバーキッド。成
形せよファイバーキッド。世界の平和は君の手に、すこしかかっているのだ。






 第3話 「GEDOから来た男」

 初めての方への解説

 ファイバーキッド・難波肇は改造人間である。彼を改造したSEADOは東南アジアの
正義と平和を守る秘密結社である。ファイバーキッドは文殊司令や少年倶楽部のスス
ム君、そして往年のヒーロー真空管童子の力を借りて、悪の組織ドクロマンサーに敢
然と戦いを挑むのだ。


 じゅう、じゅう、じゅう。
 文殊司令は、カレーショップで使う玉ねぎを大量に炒めていた。香ばしい刺激臭が
店一杯に広がる。アメ色の刻み玉ねぎが、業務用カレールーの大きな空き缶に手際よ
く貯められていく。
 中華鍋を洗おうとマスターが水道の栓をひねると、蛇口から小さなライトグレーの
潜水艦が勢いよく飛び出してきた。手に取るとパカリとふたつに割れ、通信文が現れ
た。

「朽木益男が、戻ってくる」
 パトロールから報告に戻った肇に、マスターは告げた。
「さっき、GEDOから連絡があった」
 ゲルマニア防衛機構、略称GEDOは、東西ドイツを悪の手から守る秘密組織である。
その科学力は、やや力押しの傾向があるNADO(北米防衛機構)を凌ぐとも言われてい
た。NADOは怪人ひとりに対し、すくなくとも3人のヒーローで当たるよう指示したり、
ヒーローが突入する前に、補給を絶つ意味で悪のアジトを数カ月封鎖することすら
あって、合理的すぎる戦いぶりに一部の組織からは顰蹙を買っている。
「エポキシキッドが、帰って来るんですか。」
 朽木益男、エポキシキッドは、肇と共にSEADO日本支部のFクルーとしてドクロマ
ンサーと戦っていたが、2年前に怪人ルフトマンサーを追ってドイツに渡ったきり、
音信がなかった。それが帰ってくると言うのである。
「GEDOで再改造してもらったそうだ。」
「変身の途中を、狙われてばかりいたからなあ、あいつ。」
 エポキシキッドは変身し終わるまでに15分ほど掛かるので、変身の途中を狙われる
ことが多かった。

 いっぽうドクロマンサーのアジトでは、幹部ハグルマンサーが、イヌマンサーの最
期を収めたビデオを検討していた。
「日本征服のためには、まずファイバーキッドを血祭に上げねばならん」
 ハグルマンサーは思わせぶりにマントをはね上げる。副官イエスマンサーが恭しく
一礼した。
「そうなので。その通りなので」
「ファイバーキッドを倒せるものは、おらぬのか」
 アジトの奥の壁には、ドクロマンサーのマーク、地球をつかむ3本爪が大きく描か
れている。その地球の前で、ハグルマンサーはいらだたしげに振り向いた。暗いオレ
ンジ色のマントがふわりと揺れる。
「お任せ下さい」
 空中にニヤニヤ笑う猫の顔が浮かび上がった。大きい。
「ネコマンサー、ただいま参着致しました。ゴロゴロゴロゴロ」
「おお、待ちかねたぞ」
「必ずやファイバーキッドを、地獄に送ってご覧にいれます。ゴロゴロゴロ」
 猫の顔は消え失せた。しかしゴロゴロはしばらくそのあたりを漂っていた。

 ネコマンサーは、目のつり上がった若い女性に変身して、カレーショップ「るんる
ん」の様子をうかがっている。
「あそこから、ファイバーキッドをおびき出します」
 かたわらで頷く、背広の腹がはちきれそうな中年男。じつは副官イエスマンサー
の変身である。
「どうやるので?」
 ネコマンサーは、近くのタバコ屋の公衆電話に忍び寄った。1970年代なので、公
衆電話は赤い。
 受話器を取ったネコマンサーは、人が変わったような明るい声で、告げた。
「あ、『るんるん』ですかあ? 2丁目の山本ですけどお。ライスカレー2人前お願
いします」
 1970年代なので、こんな小口の注文でも、出前を嫌がる店はない。

「道草食うんじゃないぞ」
 ラップに包んだライスカレーの皿を、肇のバイクの脇に付けた、ロケット弾発射
機の筐体を流用した通い箱に大事そうにしまいながら、マスターはくれぐれも念を
押した。
「重要な任務があるんですか?」
「カレーが冷める」
 肇は聞こえないように鼻を鳴らした。カモフラージュのためにやってるカレー屋
なんだから、そんなに熱心にやらなくてもいいじゃないか、と思うことも多い。
 2丁目への道は、多少の登り降りがある。坂を登ろうとした肇は、石垣の上に立
てられた家に、殺気を感じた。見上げる。何も見えない。いや、急に形を取る影。
怪人か! ハンドルを切る肇。狙い澄ましたネコマンサーの一撃は、空振りに終わっ
た。
「何者だ」
「おまえに死をもたらすものだ。ゴロゴロゴロゴロ」
「ドクロマンサー、出前の邪魔をするとは、許せん!」
 ファイバーキッドは変身の構えを取った。
「成形!」
 難波肇は見る見るうちにファイバーキッドとなった。ファイバーキッドはとくに変
身のためにジャンプすることを必要としない。
「とう!」
 必要はないけれども、飛び上がるファイバーキッドであった。
「ゴロゴロゴロ」
 応じてネコマンサーもジャンプする。空中で交差し、前転する。着地と同時ににら
み合う。間合いに入るファイバーキッドをいなし爪を振るうネコマンサー。風を切る
音が響く。また響く。後転して間合いを戻すファイバーキッド。

「ここにもいるぞ、ドクロマンサー」

 ふたりは声の主を見上げた。

「益男じゃないか」
「先輩、いま、潜水艦で横須賀に着いたところです」
「潜水艦?」
「飛行機の切符が、取れなかったもんで」
「飛行機が取れないと、潜水艦で帰って来るのか、お前は?!」
「とう!」
 益男は不毛な会話をジャンプで打ち切った。
「シアノアクリレート!」
 益男は瞬時に変身のプロセスを完了する。さすが世界に冠たるGEDOの科学力であ
る。再改造は見事に成功していた。
「アタッチキッド、推参」

「ゴロゴロゴロゴロ。何人いても、同じだ」
 ネコマンサーは不敵なにやにや笑いを浮かべた。
「シュレジンガー・イリュージョン」
 にわかにネコマンサーの輪郭がぼやけた。と思うと、ファイバーキッドの目の前
に鋭い爪が現れる。
「ニャンニャンニャンニャンニャン!」
 甲高い叫び声を上げて爪を繰り返し振り降ろすネコマンサー。顔を押さえてよろ
めき倒れるファイバーキッド。
「おのれ、猛烈パーンチ!」
 アタッチキッドは2年間ドイツにいたので、1970年代としても、ネーミングの感
覚が古い。
 アタッチキッド必殺の猛烈パンチが宙を切る。2度、3度、しかし空しくパンチ
の風切り音が響くばかりである。
「そこにいないかもしれない。そこにいないかもしれない。」
 ささやくようなネコマンサーの声がこだまする。消耗するアタッチキッドを、背
後から、脇から、鋭いネコマンサーの爪が襲いかかっては消える。
「ふたりそろって地獄へ行け!」
 ネコマンサーのにやにや笑いが迫る。
 そのとき。
 ネコマンサーの注意が、急に二人から離れた。飛び跳ねるように風上に向かって
駆けて行くネコマンサー。
 ファイバーキッドの目には、なにやら筒状のものにじゃれつくネコマンサーの姿
がぼんやりと映っていた。自転車で走り去る少年は、ススム君だろうか。文殊司令
の声が頭に響く。
「いったん退却しろ。マタタビ発煙筒の持続時間は短い」


「愚か者。いま一歩のところで、しくじりおって」
 凄味を利かせて、ハグルマンサーはネコマンサーを叱りつけた。ハグルマンサーの
指揮杖がネコマンサーを指して細かく震える。
「きさまの嗅覚を、切る!」
「フギャアァッ」
 ネコマンサーはよろめいた。ハグルマンサーが乱暴に、脳改造のおりに取り付けた
ディップスイッチをリモコンではね下げたのだ。
「フニャアアァァン、フニャアアァァン」
 すすり泣くネコマンサー。好物のアジの干物も、当分は味気ないことだろう。

「まずいな、それは・・・・」
 招き猫型立体映像投射機から映し出された、小さな姿の観音博士は、組んだ腕から
人差し指を上げて、黒縁眼鏡を直した。
「折角ドクロマンサーの開発動向を読んで、マタタビ兵器を用意して置いたのに、
使ってしまったのか。すぐ奴らも対策を立ててくるぞ。」
「あの、シュラモンガーなんとかいうのは、何なんですか」
「わからん」
 観音博士は簡単に言った。
「俺をもう一度、ドイツにやって下さい。必ず対策をつかんで、帰ってきます」
 生真面目に訴える益男に対して、カレーショップのマスターこと文殊司令は冷静で
あった。
「間にあわんだろう」
「勝算を得るためです」
「今の戦力で、出来るだけのことをするのだ」
「勝算のない戦いなど、しないほうが、ましです」
「生意気言うんじゃないっ!」
 文殊司令は、目を剥いて大声を立てた。
「今日勝てなかったヒーローに、明日はない。信頼のないヒーローなどヒーローでは
ない。いやならやめてしまえ」
 益男は、ぷいとカレーショップを飛び出して行った。闘気というのか覇気というの
か、文殊司令から発するオーラが肇をすっかり圧している。その文殊司令がくるりと
向き直った。
「肇?」
「は、はいっ。えっと、おれって、おれって、ドジでノロマで、ほんとにうかつに生
きてて、それから、あの、なんでも反省しますから、とりあえずごめんなさい」
 すっかり動転した肇に、マスターは口の端だけで笑いながら近づくと、背中をど
んとたたいた。
「あとは頼むぞ、にいちゃん」
 1970年代には、フォローしてやれ、という語彙は一般的ではない。
「あ、あの、おれだって、まだなんにも」
「ネコ男のことは、今日は忘れろ。最近のジャリタレの話でもしてやれ」
「だって、さっき・・・」
 ヒーローの資格云々と行ったのは司令ではなかったか、と言いたかったがまだ恐い
ので言えなかった。しかし本人にも自覚があったらしく、今度は顔中で照れ笑いした
司令は、話題を変えた。
「ガス欠じゃないのか?」
「はあ? おれ、石油エネルギーなんか使ってませんけど」
「すこし給油してやろう」
 マスターはごそごそと財布を取り出すと、岩倉具視の5000円札を取り出した。
「二人分だからな」
 すっかり表情の明るくなった肇は頷くと、益男を探しに表に飛び出して行った。
 しばらく肇をぼんやり見送っていた文殊司令は、ふと視線を移した。
「何がおかしい、このネコ男」
 一部始終を見ていた観音博士の立体映像は、腕組みしたまま下を向いてくつくつ
と笑うと、招き猫の中へぼやけて消えて行った。

 日はとっぷりと西に傾いているはずだが、東京のことなので建物に隠れて見えな
い。益男を追った肇は、電器店の前を通りかかった。テレビが3列に並んでいて、
小柄な日本人が大柄な欧米人の発音を矯正するCMをやっている。その1台がじっ
と肇を見つめている。今日は恐い人にばかり会う日だ、と思いながら肇は声をかけ
た。
「あ、こんばんは、童子様」
 真空管童子は重々しく頷いた。風格に極端な差があるときは、これでちゃんと挨
拶になってしまう。
「テレビを操れるんですか?」
「ブラウン管は立派な真空管じゃろう。現役の頃は普及率が低うて、こんな技は役に
たたなんだがな。それより苦戦のようじゃの」
「幻覚の一種なのでしょうか」
「不確実性定理を操っておるのじゃろう。じゃとすると、おるといえばおるし、おら
んといえばおらんな」
「だったら、居ると言えばいいんですね。大声で」
「違いないな。ほっほっほっ」
 店主がハタキをこれ見よがしに肩にして近づいてきたので、肇はあわてて店を離れ
た。

 やっと見つけた益男は、荒川の土手で川に小石を投げていた。改造人間なので軽く
向こう岸に届いているようだ。向こう岸のアベックが気味悪がって席を立った。
「なあ」
 肇は益男の隣に腰を降ろした。益男がまた石を投げたので、肇も石を投げて、100
メートルほど向こうの空中で益男の石に追いつかせてはね飛ばした。
「おっさんがなんでカレーショップのマスターやってるか、考えたことあるか」
「作りおきできて任務の妨げにならないからじゃないですか。手打ちそばなんかやっ
てたら指揮が取れない」
「そんなんじゃ、なくてさ」
 肇は石で向こう岸のアベックをまた一組追い払った。
「社会に住んでる人間だけが、社会を守れるってさあ。そう考えてるんじゃないか
な。」
「新帰朝のドイツっぽじゃ、守れないっていうんですか」
「そう、とんがるな」
 肇は仰向けに寝転がった。星が瞬き始めている。
「人間には感情ってものがあるからな」
 夕暮れの風が心地よい。
「みんなけっこう、ぎりぎりの資源で、不満な仕事してんだよ。こういう個人営業
やってると気づかないけどさ」
「守れないものは、守れないでしょう」
「まったく不合理なんだけどさ」
 肇はごろりと寝返りを打った。
「ヒーローってのは、社会に片思いしてるようなもんだな。普通の人の考え方が間
違ってると思っても、見捨てちゃいけないんだよ。で、自分は分かってもらえなくて
も、相手は分かってやんなきゃならない。」
「先輩、苦労してますね」

 肇の苦笑は、迫り来る殺気にかき消された。益男も飛び起きる。
「ゴロゴロゴロゴロゴロ」
「出たな、ネコマンサー」
 成形するファイバーキッド。シアノアクリレートするアタッチキッド。
「シュレジンガー・イリュージョン!」
 ネコマンサーの姿が、大きく広がり、消える。
「ここにいないかもしれない。ここにいないかもしれない・・・・」
 ファイバーキッドは何を思ったか、大声で叫びながら虚空を殴り始めた。
「ここにいるかもしれない。ここにいるかもしれない。」
 ぶんぶんと宙を切るファイバーキッドのパンチ。その正義を思う心が通じたのか、
27発目のパンチが、たまたま本当にそこにいたネコマンサーに命中した。
「フギャッ!」
 実体化してよろめくネコマンサー。しかしすぐに再び不確実化したネコマンサー
を、ファイバーキッドの2発目のラッキーパンチは見舞うことがなかった。ごくわ
ずかの確率を狙うには、繰り出されるファイバーキッドのパンチはあまりにも遅す
ぎたのだ。見えかくれするネコマンサーの爪にあちこちを引っかかれながらもなお
も空気を薙ぎ続けるファイバーキッド。

「先輩、俺にやらせて下さい!」
 アタッチキッドがファイバーキッドをかばうように進み出た。右腕を下から上へ
ゆっくりと、そして速く回転させる。
「猛烈MG42・アッパー!」
 アタッチキッドのMG42アッパーは、1分間に2000回という超人的な回転速度
を誇る。これは効いた。ネコマンサーが爪を実体化させようとするたびに、1発、
2発とパンチを食らってゆく。4分30秒後、都合14発のアッパーカットを食らった
ネコマンサーは、実体化したまま倒れてうめき声を上げた。
「いまだ、先輩!」
「おう!」
 ふたりは同時にジャンプした。隣りあった足のかかとがカチリと打ち合う。
「二人三脚キーック!」

「ゴロニャ〜〜ン!!!」

 ネコマンサーは爆発し、あえない最期を遂げた。
「先輩、ありがとうございます」
 晴れ晴れと笑う益男に肇は頷いたものの、複雑な表情だった。ハード的な戦闘能
力の差をまざまざと見せつけられたからである。

「で、晩飯を食い損ねたって?」
「そうなんです。カレー、残ってないですか」
 マスターは肩をすくめると、背の高い大鍋をのぞき込んだ。蓋を開けただけで香
りが立ち登り、ふたりの腹が同時にぐうと鳴る。
 肇はなんだかんだ言って、丁寧に作られたマスターのカレーが、好物である。


 おそるべきネコマンサーの襲撃をかわしたファイバーキッド。新しい仲間アタッ
チキッドと共に、日本の平和を守るその責任は重い。成形せよファイバーキッド。
シアノアクリレートせよアタッチキッド。ドクロマンサーの毎度毎度の野望を打ち
砕くのだ。